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7冊目。

1週間くらい前に読み終わったのにずっと書くのを忘れてたやつ。
次何読もうかな。


7冊目。

三浦しをん著
  『舟を編む』

ずっと読みたくてでも読んでなくてやっと読んだやつ。
今の私に必要な本だった。

今大学の卒論で語の意味変化についての研究をしているけれど、それをやりたいと思った理由として「言葉」が好きだからというのがある。
特に手紙や日記など、文章を書く際に「言葉」を扱うことがすごく好きだった。特に難しい言葉を知っている訳ではないけれど、自分なりに使いたい言葉を選んで表現していくという活動が好き。

だけど辞書に全てを捧ぐ彼らの姿を見て、自分の「言葉が好き」という「言葉」はどれだけ軽いものだったのかを思い知らされた。
何となく意味を理解して、何となく雰囲気で「言葉」を選んでしまうことだってある。
「言葉が好き」と言っておきながら「言葉」のことを理解できていない自分が恥ずかしくなった。

それでも私は、やっぱり「言葉」が好きだと思った。
彼らに比べたら私の「言葉」に対する向き合い方は不誠実なものかもしれない。知識だって理解だって、きっと比べ物にならないほど浅い。
だからこそもっと知りたいと思うことが出来た。


「馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。」

267頁

『記憶とは言葉』、とても好きなフレーズです。

皆さんには絶対に忘れたくない出来事ってありますか?
私はあります。
死んでも忘れたくないと思うほど嬉しかったこと、苦しかったこと、楽しかったこと、つらかったこと、幸せだったこと。
それら全てを記憶という名の宝箱に大切に大切に保管してあります。

しかしその宝箱の中には鍵の開け方を忘れてしまったものもあります。
そんな宝箱の中の記憶をふと思い出すとき。
それはその記憶にまつわる「言葉」に触れたときだと私は思います。

私が大切にしている記憶の一つとして、ライブに行ったときのことが挙げられます。
ライブで何を歌ったか、どんな表情をしていたか、何を語ったのか、それをうけて私は何を思ったのか。
事実から感想まで、様々なことを「言葉」にします。
時にはSNSで、時には口頭で、時にはファンレターで、時には日記で。

それらは全て記憶という名の宝箱の鍵です。
ふとした時に「言葉」という鍵に触れることができるよう様々な場所に散りばめておくのです。
その記憶にもっとに触れたいと思った時、より鮮明により多く触れる子尾tができるようにできるだけ多くの「言葉」を散りばめておくのです。

私にとって「言葉」とは「感情」です。
忘れたくない感情、それらは全て言葉と共にあります。
中には言語化できない感情もあります。それはそれでいい。言語化できない、ということにも意味はあるから。

感情も一種の記憶であると私は考えます。
だからこの『記憶とは言葉』というフレーズは驚くほどストンと私の中に落ちてくれました。

この世界に「言葉」というものがあってくれて良かったと私は思いました。


「言葉」は生き物です。
時代によって、使い手によって、姿や形や意味を変えます。
「言葉」は文化です。
長い時間をかけて紡がれてきた財産です。


「自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟」

283頁

辞書作りに関わるすべての人たちに敬意の意を表して締めといたします。
『舟を編む』という作品に出会えてよかった。


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