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マウンティングの話

はじめに

 日本語が退化している、とは随分前から色んな人が色んな角度から指摘してきたことだ。多分私が女子高生の頃から「君たちは『カワイイ』しか言わない」と言われてきたし、もう少しだけ時代が下ると「若者はなんでもかんでも『ヤバい』と使うようになった、これは由々しき問題だ」などといわれてきた。「おざなり」と「なおざり」の意味の違いは何か、という問いはかつて語彙力をはかる恰好のネタだったが、今や二つの言葉の意味どころか、言葉自体を知らない人の方が多いのではないかとすら思う。つい先日、「人口に膾炙する」という言葉を書いた書き手が、編集部からもう少し平易な言葉に変えてくれと注文を付けられたという話も聞いた。平易な文を良しとし、語彙数を減らす動きは、大衆からと、言葉を扱う側と双方から起こっているようで、後者は特に嘆かわしいことだと思う。

マウンティング概観

 最近、と言ってももう二、三年以上前からだろうが、「マウンティング」という言葉がとても良く使われるようになった。元々は猿などの野性動物が、自分より弱い同性に対して自らの優位性を示すためにする示威行動のことを指す言葉だと思うが、転じて社会的・金銭的・環境的に優位な立場にある人間が、劣位にある人間に対して行う示威行動のことも含めるようになった。これまでもそのような行為には「自慢」とか「嫌味」とか「上から目線」といった名前が付いていたはずだが、それらとマウンティングがどの程度重なり、どの程度区別して使われているかは正直良く分からない。マウンティングという言葉の解釈はきっと人によって違うだろうし、場合によってもまた違うだろうからだ。ただ、私の観察範囲においては、マウンティングには自慢と比べて、受け取り手への攻撃の意思がありそうだし、受け取り手が不快に感じたかどうかに重きを置かれているように思う。

「存在そのものがマウンティング?」

 ところで、先日「存在そのものがマウンティングである」という言葉を見聞きした。ネットサーフィンをしていて目の前をかすめていった言葉なので、どこの誰が言ったのか、発言者がどういう意味合いで言ったものかは定かではないのだが、どうやら「本人の意図すると意図しないとに関わらず、やることなすことが他者へのマウントになってしまう人」ということらしい。たとえばスネ夫のお母さんのようなものだろうか。

 そこで私ははたと気付いた。マウンティングは、一見マウントしている人が能動的にしているように見えて、実は相手の受け取り方が多分に影響しているのではないかと。

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 Aさんは都内の某タワーマンションに住むワーキングマザーだ。Aさんの夫はそれなりに忙しいが、家事や育児にも協力的だ。今日は、育休期間中に知り合ったママ友と久しぶりのランチ会。まずAさんが皆に近況報告をすることになった。

 Aさんとほぼ似たマンションに住み、夫の協力度合いも同程度のワーキングマザーBさんや、Aさんより高層階に住み、バリキャリワーママのCさんには、Aさんの話はただのあるある話や、他愛のない雑談に思える。しかし、Aさんと似た経済状況だが、夫が常に深夜帰宅で毎日ワンオペを強いられているワーキングマザーのDさんには、Aさんの近況はとても恵まれているように見える。Aさんがこぼす夫へのちょっとした愚痴は、Dさんには贅沢な悩みだ。

「子供がまだ起きている時間に帰って来てくれて、しかもお風呂に入れてくれるならいい旦那さんじゃん」

 Dさんはずっともやもやした気持ちを抱えながら帰宅の途についた。ツイッターを眺めていると、マウンティングという言葉が飛び込んできた。「そっか、私マウントされたんだ!」

 あんなに綺麗に身支度を整えられるのも、旦那さんの協力があってのことだ。そういえば、私の話を聞くAちゃんの顔は、同情というよりむしろ憐れむような様子ではなかっただろうか。自分のもやもやに名前が付いたので心は少し落ち着いてきたが、家に着き、出掛ける前より数段散らかった部屋で、夕飯前だというのに夫が子供にアイスを食べさせているのを見て、どっと疲れが出てきてしまった。次回呼ばれても、行くべきかどうか迷うな、とDさんは思った。

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 このたとえ話はかなり話を単純化しているので、実際の心はもっと複雑な動きになるとは思うのだけれど、大体のニュアンスを掴めていただけただろうか。

「カワイイ」と「マウンティング」

 自分より恵まれていると思う人の言動について、なんでもマウンティングと名付けてしまう現象は、先に挙げた「なんでもカワイイと言う」や「なんでもヤバいと言う」とは別物のように思われる。

 「カワイイ」や「ヤバい」は、自分の感じ方の解像度を下げる行為だ。本当は「このデザインが凝っている」とか「色がはっきりしていていい」、あるいは「よく命があったなと思うような怖いことを経験した」や「今まで生きてきて一番感動した」というようなことを一語で表現している。これらは自分の感情の振り幅や出来事の内容を雑に扱うという意味では、非常に問題な行為ではあるが、自分の責任において、自分の内部の処理を変えるというだけのことである。

 しかし、「マウンティング」はそれとは違う。相手の行為に対して「これみよがしに自慢されて不快だ」とか「見下された」とか「自分が惨めに感じる」と自分の感情を表現するべきところなのに、相手が「マウンティング」または「マウント」という不適切な行為をしたと表現することで、自分のネガティブな感情を表明するのを回避した上で、全てを相手の責任にしている訳である。主体を自分から他者に変換している分、「カワイイ」や「ヤバい」よりたちが悪いのである。

 そしてその究極の形が「存在自体がマウンティング」になるのではないか。

自分の問題か、他者の問題か

 確かにやることなすこと感じの悪い人は世の中にいるだろう。自分の立場や持っているものをこれ見よがしに自慢し、見下すことが習慣化していたり、意図的にマウントしている人もいるかもしれない。しかし、人間はなんだかんだ言ってバランスが取れているもので、骨の髄までマウントで出来上がっているような人間はそうそう居ないのではないだろうか。また、自分が全く興味のない分野のことや、住む世界が違う人からマウントされたとしても、多分痛くも痒くもないはずだ。たとえば、あなたは叶姉妹の言葉を聞いて「これは私に対するマウントだ!」と思うだろうか。まあ思う人もいるかもしれないが、ごく少数派ではないだろうか。

 ということは、誰かにマウントされたと思うのは、自分の中に何かしらのコンプレックスがあり、それがその人の言動によって刺激されているからではないかと思う。そうであるなら、自分の中のどこが刺激されて苦しいのかを認識し、それを放棄するかベクトルを変えるかしないと、きっといつまでも苦しいままだ。発言者は受け取り手ほどには意識して発言していないことの方が多いはずだし、ピンポイントであなたに向かって発言していることは殆どないと思うので、苦しみ損なのである。

 また、「本来自分はこの人にマウントされるべきではないのに、されていることがムカつく」という感情もあるのではないかと私は思う。人は、自分が歯牙にもかけていなかったような人に馬鹿にされた時に腹立たしく思うものである。そしてそれは、案外自分が相手を見下していたことに端を発していたりするのである。

お気持ちが表明しづらい社会

 これまでは受け取り手の問題をあげたが、もう一つ、マウンティングという言葉が使われる原因として、人の感情は低級なものであるという考え方が一般的になり、「私がこう思った」がなかなか表明しにくいということもあるのではないか。特にツイッターではこの傾向が著しいように思うが、バズったツイートに対して、少しでも感情のようなものが入り混じると非論理的だ、不合理だと叩かれてしまう。受け取り手の不快感も、マウンティングという、目に見える他者の行為の形にすると、第三者にすんなり受け取られやすくなり、炎上を避けられるという事情があるのかもしれない。個人的には、感情があって何が悪いんだろう、論理は感情と切っては切り離せないのではないかと思うが、まあ仕方ない。

発信者側の打つ手は多分ない

 それでは、発信者側として何か気を付けられることがあるのかというと、多分答えは「NO」だろうと思う。炎上目的、話題を集める目的で他者のプライドやコンプレックスを刺激する発言を敢えてする場合はともかく、特にそういうつもりがない場合に付ける薬はあまりないように思う。もしあなたが、十人中十人が羨むようなスペックを持っていたとして、あなたが少し自慢めいた口調で話しても、フラットに話しても、はたまたへりくだって話しても、多分刺激される人は刺激されるし、されない人はされないのである。そして多分、あなたの今持っているスペックがどうであっても、あなたの言動をマウントと感じる人は感じるのである。身も蓋もない結論だが、他者の感じ方をコントロールできない以上、半ば諦めて堂々としている他ないのである。

 とはいえ、「こいつこんな偉そうなことを言ってマウントしてら」とニヤニヤ面白がって眺める面白さもあるのだろうと思う。自分の中のコンプレックスをどうにかするのはとてもタフな仕事に違いないし、そんな骨の折れることをするくらいなら、自分にとって嫌な奴をヲチして見下げていた方が楽だからだ。ただそれをやり過ぎると自分に毒が回ってきてしまうと思うので、まあ現実的な対処としては、マウントされたと思ったら自分の深淵を見るなんておっかないことをするのはやめて、即座にブロックかミュートをして相手を見ないようにするのが正しいんだろうなと思う。

 やっぱりこっちも身も蓋もない結論になってしまった。やれやれ。

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