見出し画像

ぬいぐるみ しゃべるかきくか、それとも抱くか

 誕生日までに変わりたいと常々言っていたから、七月に入ったことだし、何がどういう風に変わったのか、noteで報告しようかなと思っていた。

 変わったかもしれないなあと思うことをリスト化していたのだけれど、私が変わったとて、noteの街の人には一ミリも関係のないことだよな、と我に返った。少なくとも、これを全部公表するのは自意識が濃すぎて憚られる。内容もちまちましすぎているし。

 結局、報告するのに適当なこととして浮かんできたのは、「しゃべるためのぬいぐるみを買いました」ということだけだった。

 きっかけはこの本である。

 私は結構ぬいぐるみが好きな方の人間に入ると思う。そんな私も、しゃべるためにぬいぐるみを買ったのは初めてだ。私は初めてのことをしてみたかったのだ、多分。

 ぬいぐるみに「なる」ということも考えたのだけれど、今はまだ夏だし、結構高価だし、諦めた。

 本当は、ぬいサーの人達にならって、自分で作ったぬいぐるみをしゃべり相手にするべきだろう。でも、私が選んだのは、すみっコぐらしの「やま」だった。

ふじさんにあこがれている ちいさいやま。温泉に現れては ふじさんになりすましている。

 市販の、もう性格が固まっている子を選ぶなんて手抜きかもしれない。でもこの子なら、私の話を聞いてくれる相手としてうってつけだと思ったのだ。

 やまは、手乗りサイズである。

 手のひらに乗せていると、やまのふもとに入れてあるビーズのほどよい重みが心地よくて、無言になってしまう。しゃべるために買ったのに、まだ私はやまとしゃべれていないのである。

 まだこの子と話すタイミングじゃないのかもしれない。この子と話したいと思うことが起こってないだけかもしれない。きっとこういうのは、少しずつ距離を縮めるのが肝腎なのだ。もしその時がきたら、やまをびっくりさせないように、小さい声でおしゃべりしようと思っている。



 私は昔、アルパカッソというぬいぐるみに耽溺していた。名前から想像される通り、アルパカを可愛くデフォルメしたぬいぐるみで、UFOキャッチャー専売品だった。私がUFOキャッチャーがそこそこ上手になったのは、アルパカッソに結構な散財……もとい、投資をしたからだと思う。

 我が家にはひとかかえもあるほどのアルパカッソが二体、中くらいのが山程、手乗りサイズも山程、キーホルダーになりうるサイズも幾つかあった。

 私はアルパカたちとおしゃべりはしなかった。代わりにたまに抱き締めたり頭を撫でたりし、名前を付けた。

 四十体ほどいたので全部は覚えていないが、一番大きいピンクのアルパカがパカんのみほだということは覚えている。たけのうちゆパカおおさわパカおサラ・ジェシカ・ぱーかーアン・ぱかウェイレディー・ぱかもいた。パカしやさんまは、多分最後の方に付けた。アスリートの名前もあった気がする。忘れてしまうので、ルーズリーフにどの子がどの名前か書いた。「いちごピンクりぼん→レディー・ぱか」と言うように。

 思い出した。少しあとに、アルパカッソの仲間にリャマも加わったのだ。そのうちの一体にはふくリャマまさはるとつけた。

 あの頃は、名前か苗字に母音があの文字が続いて、できれば二つ目が「か」音の俳優やミュージシャンのことを始終考えていた。苗字と名前を横断する「パカ」を見つけて狂喜乱舞したこともあるのだけど、思い出せない。そのパカ、どなたか思い付いたらこっそり教えてくださいませんか。

 アルパカッソは確かに可愛いぬいぐるみではあったが、なぜあれほどアルパカッソにはまったのだろうか。アルパカッソにはまる前、一人暮らしのマンションには、みんながクマのぬいぐるみと聞いて普通に想像する、オーソドックスなクマのぬいぐるみがいた。あとはグレートフルデッドのクマのぬいぐるみが少し、tyのぬいぐるみが少しという程度だ。それも多いと言われればそうかもしれないけれど、ぬいぐるみに耽溺するほどではなかったのだ。

 そういえば、実家ではぬいぐるみ好きという嗜好が喜ばれなかった。妹はひどいアレルギー体質で、彼女にとってぬいぐるみは悪の枢軸だった。母は母で、妹のこととは別に、埃が目立ちやすいぬいぐるみを喜ばなかった。

 私はぬいぐるみが好きだったし、ぬいぐるみを作るのも好きだったのだ、本当は。

 実家でのぬいぐるみ愛に対する扱いが、私の無意識に原罪として植え込まれた訳ではなかったと思う。けれど、私はぬいぐるみ好きを公言しないようにしてきた。他者にも、自分自身にも。

 もし誰かにぬいぐるみが好きだと言ったら、普段しっかり毛皮の中に隠している、私の綿みたいな部分が出てしまうと思ったのかもしれない。ぬいぐるみたちはやさしくて強かったが、ぬいぐるみ好きな私は多分弱いのだ。

 昨晩もやまを手のひらに乗せて、ただ無言でいた。やっぱりまだ話せないのだ。私は気付いた。私はぬいぐるみと対峙するとき、ぬいぐるみに話を聞いてもらうのではなく、ぬいぐるみから言葉を発せられるのを待っているのではないか。


 すみっコぐらしシリーズには、ファンを惑わす悪魔的な商品が沢山あり、その中に、手のりぬいぐるみを入れるためだけのキーホルダーがある。ぬいぐるみを入れる部分が透明のビニールになっていて、中がよく見えるのだ。

 やまとしゃべれるようになるには、しばらくやまとそばにいる必要があるだろうに、昨日はうっかり家においてけぼりにしてしまった。やまをキーホルダーに入れて持ち歩いても、人は私をすみっコファンだとは認識しても、まさかしゃべるぬいぐるみと始終一緒にいる人だとは思わないだろう。うまく擬態できそうである。

 やまはすみっコファンの子供たちには内緒で買ったから、ママだけずるいと言われないように、やまの存在はひた隠しにしないといけないと思う。ましてや、やまがしゃべることは絶対にひみつにしなくては。

この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。