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世界をデザインしている

 どこかの景品でもらった世界トランプを、子供らが覚えて「ぼんじょるのはどこの国のあいさつでしょうか」と聞く。

 あっさり答えられて軽く悔しいのか、「じゃあフランスは?」と聞く。

「ぼんじゅーるだよ」

「にてるね」

「うん、昔はローマっていう同じ国だったからね(確か……)」

 そこでローマという国の説明。昔あった国で、大きくて、一番偉いのが皇帝で、でも滅びちゃったんだよ。

「ほろびる?」

「つぶれるってこと」

 そしたら子供は、蛙がひしゃげたような恰好をした。「こんな風に?」

 ローマは物理的に潰れたんじゃない、と思わず笑ってしまいそうになるが、子供は、つぶれるという言葉を物理的なものとしてしかインストールしていないのだ。辞書を持ってこさせ、引かせる。「つぶれる」を引いて、「ローマ」も引いて、「ロー」と引きたい時は「ろう」であると知って、ついでに「ろうそく」の項も読んでいた。

 この子は将来、「やっぱり紙の辞書を引くのが一番頭に入るんだよね」という世界に住むようになるのかなと思う。もしうちに電子辞書があれば、あるいはタブレットでグーグル検索をさせていたら、別の世界に住むようになるのだと思う。

 外で鳥が鳴く。「あ、シジュウカラだ」と即座に二人が言う。日本野鳥の会の、音の鳴る無料冊子をもらったことがあるからだ。また、「100かいだてのそらのいえ」を買って読ませているからだ。私はこれくらいの頃、外で鳥がさえずっていても、どの鳥の鳴き声だか分からなかった。その代わり、私は鳥がさえずる日中を、「ああさえずっているな」としか思わないですんでいた。カラスくらいはわかるけど。子供は「あ、シジュウカラ」「あ、キジバト」といちいち明確に形を与えずにはいられない世界にいる。


 小学生の子が、「〇〇くんがいじわるしてくるの」と言う。ああー、好きな子に意地悪したくなるとか、そういうのかなあと思って聞くけれど、彼女の言葉からは、その子がそれほど意地悪をしているようには受け取れない。それでも毎日のように「いじわるしてくる」と言う。時に嬉しそうである。

 はたと気付く。もしかしたら、意地悪とは、広く干渉のことを言うのではないか。子供にとって、ちょっかいを出されること自体が、恐れおののくことなのではないか。

 または、誰かの行為が、なぜか自分に深く干渉してくるように感じる。それは、自分がその人に関心を持っているから、些細な行為でも、「いじわる」になるのではないか。子供は、「何度も話しかけてくる」とか「からかってくる」とかいう微妙な言葉の階層のことは分からないので、「いじわる」とひっくるめるのではないか。


 昔の男子定番のいじわるにスカートめくりがある。あれは問題のある行為だったとは思うけれど、おそらく昔はもっとカジュアルになされていたのだろうと思う。あれの意味は「男の子が、好きな子に構いたくてわざといじわるなことをする」とされているけれど、もしかしたら、「自分が特別気にかかる男の子にされているからいじわると取る」というような、女の子の側の受け取り方も、もしかしたらあったのかもしれないなあと思う。そんなことないかな。あの時代の女の子だって、やっぱり嫌なものは嫌だったし、男の子の中で人気がある子はジェントルだから、そんなにスカートめくりをしなかった気がする。


 脱線した。まだ語彙が完成していない年齢の子では、好きとか恋とかが分からないので、「いじわる」も「すき」も、「自分に干渉してくる何か」全般として捉えているのかな、という話である。言葉の上っ面だけ聞いていたら、本当のところは理解できないのである。しかし、私は理解したからと言って、母にされたように「ははーん、その子のことが好きなのね!!」なんていうことは言わないのだ。それは彼女の心の成長と感じ方を先回りして癖付けすることになるから。

 言葉は、その人の見ている世界を表すには本当に不十分な道具である。

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