して欲しくないこと

 今の子育てでは、従来はスタンダードだった諭しの言葉が槍玉にあげられることが多い。

 「自分がされて嫌なことはしない」もその一つである。

 この言葉を批判する人によると、自分がされて嫌なことが、必ずしも相手に嫌なことかは分からない、相手にとって嫌なことに目を凝らして、それを避ける行動をすべきである、こんな物言いは自他境界を曖昧にする悪い言葉である、云々というのである。

 確かに自分がされて嫌なことが、必ず世間の人にとって嫌なことかは分からないのだけれど、どうもすっきりしない。自分も「世間の人」であり、嫌なことは全くイコールではないものの、ベン図のようにかなり重なっている部分もあると思うからだ。
 はっきりと相手に嫌なことをしている我が子に、それはあまり宜しいことではないと伝え、止めさせるのに他に適当な言葉が見当たらない。特に自他の違いが曖昧であるとされる幼児に言い聞かせるには。

 それで私は最近は、やっぱりこの言葉を使う。使ったうえで、「あなたが嫌だと思うことが、必ずしも相手にも嫌かは分からないけど、少なくとも相手に嫌な思いをさせようと思って、自分がされて嫌なことをするのは意地悪で、良くないこと」と説明するようにしている。

 実際に相手が嫌な思いをするかどうかは問題ではないのだ。そういう言葉を相手に吐くことによって、相手に嫌な思いをさせようとするその言動が良くないのだから、言葉だけを禁止しても、心に言葉にならない鬱屈が溜まるだけだろうし、別の言葉が生まれるだけだ。
 もちろん、嫌な思いをさせようとするほどの何かが相手にもあったのかもしれないし、そう思う気持ちは動物たる人として自然ではあるのだけれど、それを相手に投げることによって、相手が傷付くのは良くない……ではなく、巡り巡って自分に返ってくるから、自分を大事にするために、そんなことは止めた方がいいと思うのだ。

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