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踏みならされた道/私だけの道

 丸くて大きい頭は、まだ彼女の手に負えない。腕をつっぱらせて、まっすぐ立てる。胸が床から離れた。三センチ、四センチ。五秒、六秒、七秒。

 どたん

 力つきてうつ伏せになった。頭を横に向けてはあはあと息をしている。また頭を持ち上げて……どたん。

 最後のどたんの格好のまま、しばらく動かない。どこかぶったんだろうか。小さい人なりに、落ち込んでいるんだろうか。私の腰が浮きかけた時、赤ん坊は小さな顔いっぱいで笑って、床の上をさかさか泳いでこちらにやってきた。「がんばったねえ」後ろの髪がすれてチリチリになっている、次女の頭をなでる。

 「いつかは皆できるようになる」と、母や先輩ママ友は事もなげに言った。長女の時は、頭ではそうだろうと思いつつも、彼女の小さい挑戦にいつもヤキモキしていた。「○カ月で出来ていること」という母子手帳の記述と、娘の進み具合をしょっちゅう見比べた。

 一方、次女の時はのんびり構えていられた。次にステップアップするタイミングは、赤ん坊の方でもう決まっているし、一見無駄に思える同じ動作の繰り返しによってしか、成長の道はないから。

 ハイハイやつかまり立ち、両足を使ってのジャンプのような、身体的なことばかりではない。あやとり、すごろく、縄跳び、迷路、リリアン編み。体と頭の習熟が必要な作業も、基本的に繰り返すことが重要だ。はるか昔に既に身に付けた私からすると、子供の成長を見守るのはとてももどかしく、やってあげた方が速いと思いがちだ。子供自身もうまく出来なくてイライラし、そのイライラを私にぶつけてくるので、親とはサンドバックになることだなあと思う。


 私は、ずっと捨てられないでいた、文字を書いて稼ぐことに再び挑戦し始めた。

 高校、大学の頃から創作に携わるのが夢だった。当時もいくつか文章は書いていたけれど、全くのお遊びだった。大学を卒業し、仕事を始めると毎日遅くまで残業せざるを得なくなり、創作に充てる時間がなくなった。新卒の会社は三年余りで転職することになったが、転職先を選ぶ基準の一つは「文学の糧になるような体験ができる仕事」だった。職務には誠心誠意あたっていたけれど、芯のところでの動機が不純で、当時の職場には大変申し訳なく思う。

 文章だって、子供のあやとりと同じで反復練習が肝だ。日本語の会話が出来て、学校で国語を学んで、そこそこ本を読んでいれば、皆それなりの文章を書けるようになると思う。今は誰もが簡単に文章を発信できる。noteの中だけでも、伝えたいことを盛り込んだぐっとくる熱い文章、さらりとした質感の中に技巧を凝らした文章が多数あり、それがほとんど無料で読める時代で、読者不足なんてことすら言われる。

 言葉は、ある特定のものを限定的に指す道具だ。文章を書く時、そのことにいつも苦しめられる。

 例えば、赤い林檎について描写したい時、ただ「赤い林檎」と書くだけでは、主人公が今手に持っている、好きな人から渡された、夕日を受けて輝く、表面に特有のつやをたたえた「まさにこの林檎」を余すことなく表すことはできない。「赤い」と一口に言うけれど、それはどんな赤さなのか。朱色なのか、臙脂色に近いのか。形は丸っこいのか少し細長いのか。でも、詳しく書けば書くほど、読者にパッと「赤い林檎」だと伝わらなくなる。やっぱりシンプルに「赤い林檎」と書いた方がいいのではないか。

 そんなようなことが、一語一語、一文一文に起こる。それを考えることは大事なのだけれど、一々立ち止まっていると、文章の勢いが削がれて、私がぜひ表したいと思った、リンゴの赤さについての最初の感動がぼやけてしまう。

 そんな風に考えながら日々を歩いていて、たまたま親しい人が好きだという演奏家のライブに行った。私にとっては初めてのジャズライブで、ステージは一番遠い客席でも四メートルと離れていない、非常に近いところで音楽のシャワーを浴びた。

 ヴォーカルはないから、はっきりと意味は分からない。でも、この一音一音に伝えたいことがあるのだろうと思った。何も取り逃さないぞという気持ちで聴きながら、作曲の手法や、ジャズ的文法を理解したらもっと読み取れるようになるんだろうかと考えた。「この手法は感情や行為が増幅していることを表す」と言ったような、一般的な意味が仮にあったとしても、この作曲家が実際その通りの意味を付けているかは分からないし、手法よりも、音色そのものが持つ力の方が雄弁だという場合もあるだろう。頭で聴かないで、体で受け取った方がいいと思いながらも、思考は当て所なく走った。

 MCで、今回のアルバムについての話になった。私より少し年が上であろう作曲家兼ピアニストは、今回の録音が柔らかな音だったと共演者に優しくからかわれ、照れ隠しに「ピアノがそういうピアノだったから」と言った。普通のより小さいし、特別良く鳴ったんだよと。

 このライブ中、なんとなく胸につかえていたものの正体がわかった。


 私は彼らに嫉妬していた。……そして、その嫉妬は筋違いだ。


 私は常々、物を書くことは、道具である言葉そのものが説明的な性格を持つから、すぐに弁解じみたり、嘘になったりして嫌だと思っていた。蛇が自分の尻尾を食べているようだと。音楽なら、言葉なんて卑近なものの持つ縛りから逃れて、もっと自在に言いたいことを言えるのにと。

 でも違う。音楽だって、ドレミファソラシドと少しのシャープとフラットという音の枠に縛られ、使う楽器、その日の気温や湿度、自分の手の大きさや五十肩、そういう制約の中で作り出されている。あまり詳しくはないけれど、きっと絵画もそうだろう。楽器や言語、絵具といった、過去の人類が発明した不完全な道具を使い、過去の偉人たちが作り出してきた音色や文章、風景の上に、小石のひとつぶて、泥だらけの足跡一つでも、自分の証を付け足す。そのために、日々自分の持つ道具を手入れし、考え尽くし、磨き続ける。そのうんざりするほど小さい、徒労に終わるとも限らない挑戦を一つ一つ積み上げて、繰り返す営為が創作なのだろう。

 私の挑戦は道半ばだ。先人によって踏み固められた道は、脅威でもあれば、私のガイドでもある。私は踏み固められた道を歩んでいるつもりで、私だけの道を既に進んでいるのだろうと思うし、そうなっていると願いたい。

 私がパソコンに向かう時、あるいはノートに何か書き付ける時、これは全くの無駄ではないかと手が止まってしまうことがある。こんなことを書いたり考えたりすることは意味があるのだろうか。やっぱり世間に見出されないままなのではないだろうかと。

 そういう時、私は子供達が塗り絵をしたり、迷路に鉛筆を滑らせたり、友達に手紙を書こうと苦心してひらがなを綴る様を思い出す。彼女達は自分のしていることが、同世代のお友達も含め、他の人間が通ってきた道だから自分がわざわざやる必要なんてない、なんてことを考えない。ただ自分の手指の器用さや、鉛筆やペンの品質という条件の中で、やりたいことを繰り返してやっているだけだ。

 普段はしょっちゅう喧嘩している二人が、しんと集中して机に向かっている時、私も同じことをすればよいと胸を打たれることがある。赤ん坊がものを覚える時のように、あるいは他の芸術家がそうであるように、小さなことを繰り返すこと、制約の中で工夫すること。

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