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バドミントンの思い出

 この話は、前回のnoteの少し前の話である。

 私は高校・大学でバドミントンを少しだけやっていた。本当に少しだけ。

 運動の「う」の字を聞くだけで青ざめるくらいの運動音痴で、内申点が重要だった高校受験では、体育の点を取るために皆がサボる毎時間の体操とか持久走(運動神経はなかったが、体力だけはそこそこあった)に真面目に取り組むという涙ぐましいことをした。当然、小学校の時は手芸クラブや編み物クラブに、中学では美術部に所属するという、典型的なインドア派かつ陰キャだったのである(陰キャは関係ない)。

 そんな私がなぜ高校でバドミントン部に入ったかというと、このまま体育会経験がないのはなんだか悔しいと思ったからだ。

 でも浅はかだった。ははっ。

 今でこそ、オグシオコンビの活躍などによって認知度があがった、競技としてのバドミントンだが、当時はマイナーなスポーツで、一般人は『休みの日に公園でやるアレ』程度のイメージしかない人が少なくなかった。私もその一人で、入部説明時に部活のバドミントンはアレとは違う、体力がいると顧問から説明を受けたが、どれだけ大変かイメージできなかった。

 うちは全然運動に力を入れていない高校だったので(うそ、ラグビーだけは熱心な先生が居て、花園行くぞと毎年言っていた。でもそれは高い高い壁だった)、バドミントン部にも、私のように間違って入っちゃった子が数名いた。

 当時バドミントンのユニフォームはポロシャツ風の襟付きシャツに、白いスコートか白いショートパンツを合わせるものだったが、上手い子たちは「そっちの方が強そうに見えるから」という理由でショートパンツを選び、間違って入っちゃった系の子はスコートを選んだ。そして、パンツ組はスコート組を内心小バカにしているところがあった。

 一方、中学からバドミントンをやっていた、部で一、二番目に上手い子は元々持っていたスコートをそのまま着ていて、別枠として一目置かれていた。誰もはっきり言わないものの、自他共に実力が認められなければ、好きなユニフォームすら選べないような空気があった。

 私はといえば、巻きスカート風になったキュロット型のスコートを選んだ。本当のスコートはアンダーパンツを穿かないといけないので、一枚余分の値段を親に伝えるのが憚られたからではあったが、いかにも中途半端なのが衣装からもわかるといえよう。

 貧乏な公立高校なので、体育館は古くて狭く、時間入れ替え制だった。しかも男女合同で体育館の半分を使うという有り様。上手な子は広い面を使え、下手な子は少し横に動くと肩が当たるような劣悪な環境での練習だった。部内順位を上げようというガッツなどさらさらなかったが、そんな環境では格差は広がる一方だったなと改めて思う。

 私は早々にチームメイトの体育会系なノリについていけなくなった。彼女らにとっては軽口でも、私には誰かに対する侮辱に感じたり、攻撃的すぎると感じたりすることがよくあった。そもそも運動音痴にとって、練習自体が楽しくない。当たり前だ! 山の方に夏の合宿に行った時は、一泊二日逃げ場がないので更に苦痛だった。私はそういうことを自分の経験に付け加えたくて体育会系に入ったのだから、少しは積極的になれば良かったのに、むしろ逃げ回ってばかりいた。アホなのか?

 定期考査最終日はいつも午前中で試験が終わり、午後からは早速部活動が再開される。私はその日必ず休むようになった。他の部活に所属している友達と、あるいは一人で繁華街に出て、パフェを食べたりウインドーショッピングをしたりした。うまい子が練習を付けてもらっている背後に並び、飛んできた羽根を拾って集めるだけの練習なんてまっぴらごめんだった。

 私は高校二年の夏前に部活を辞めた。理由は受験のため。もはや試合に出たくもなかった。スコート組は負けるのが前提だと思われ、予想通り負けることに意味を見出せないとか、そういうのも、もうどうでも良かった。当時の成績からはかなり大それた大学を志望しようとしていたので、今から勉強を始めないと絶対間に合わない。部活の時間は私にとっては無駄だった。

 高校からバドミントンを始め、団体戦のレギュラーに選ばれるようになっていた友人からは「もっと紅茶ちゃんにはバドミントンを好きになってもらいたかったな」と言われた。

 知るか!

 「むしろバドミントンよりあなたたちが、いや部活そのものが」という捨て台詞を言わなかっただけ私は偉かった(全然偉くない)。ちなみに彼女は私が第一志望の大学に受かった時、「バドミントン部から〇大合格者が出たなんてすごい!誇りだよ!」と言った。いや……。うん……。

 でも多分、私は悔しかったんだと思う。よせばいいのに、大学でちゃらいバドミントンサークルではなく、あろうことか体育会バドミントン部に入ってしまったのである。羽根拾い中心だったとはいえ、一般人に毛が生えた程度にはうまくなっていたので、ちゃらいバドサーに入っとけばちゃらい大学生活を送れていたのにねえ。

 ちなみに大学は更に貧乏だった。本校舎とは別の場所にある古い体育館が私たちの活動場所だったが、板と板の隙間に微細な隙間がある上、アメフト部が体育館の奥のトレーニングスペースを使うために砂まみれで歩き回るので、磨いても磨いても床がサラサラしていた。

 その床に慣れた私たちが、他大学の、床が鏡のように光る体育館で練習試合をすると、着地したところで足が動かずに足首を痛めるという事態が発生した。足が動かない? 通常、着地したら足が動かないものじゃないのか?

 何を言っているかわからないと思うが、俺も何を言っているか分からない。とにかく、我々は恐ろしい床の滑らなさの片鱗を味わったのである。

 普段は床に着地する時、砂のせいで少しだけ滑るので、それに合わせて踏み込みを無意識に調整しているのだけど、本来の床はキュッと止まるようになっている。それでいつもの調子で着地すると「おっとっと」と前のめりになったり、重心移動がおかしなことになって足首を痛めるのである。もちろん、それは私がへっぽこプレーヤーだからで、トッププレーヤーならそんなことはないのかもしれない。

 そんな部活を私はやっぱり1年ちょっとで辞めてしまうのだけど、その話はあまりに醜いような気がするので、ここで筆を置く。賢い読者の皆さんの中にはもうお気付きの方もおられると思うが、今回のnoteは、ただ大学時代のぼろい床について語りたかったのである。それだけのためにこんな文字数になってしまった。

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