小説 ちぢれ毛
浴室にちぢれ毛が落ちているのを見ると、彼女のことを思い出す。
夫が落としたであろうちぢれ毛が、浴室に落ちたままになっていると殺意を抱くというツイートを頻繁にしていた。彼女は高校生の時に脇を、社会人になってVIOを脱毛してハイジニーナになっていたから、すでにちぢれ毛とは無縁だということだった。夫からの誘いを拒み続けていると、ちぢれ毛にまで殺意を抱くようになるのか、というのが私の感想だった。
私は彼女と同じ年頃の子供を持っていたから、軽率にオフで会おうという話になった。彼女の娘はふわふわくるくるのちぢれっ毛だった。彼女は私の顔を見るなり、また昨晩も浴槽にちぢれ毛が浮いていたと嫌な顔をした。私をハンドルネームで呼ぶのは恥ずかしがったのに、ちぢれ毛の話を私鉄とJRが何本も乗り入れている駅の正面改札前で話すのは恥ずかしくないらしい。わかるけどわからない。
自分と娘よりも先に風呂を使う夫が憎い。ヘタなセックスで精を出すだけ出して、お腹をはちきれんまでに膨らませることもなく、日中てんやわんやでへとへとな妻の気持ちをちっとも察することのできないサイコパス性を、嫌味を言われ続けても熱心に営業トークを繰り広げる才能に変えて、家にお金を持って帰ってくるだけの男が、憎い。憎い憎い憎い。まだ赤い牛肉を鉄板にフォークでじゅうじゅう押し付けながら彼女はしゃべり倒した。私は脇を脱毛していたが、脱毛しきれなかった毛が数本残ったままになっていた。そのままにしておくと臭うのでこまめに剃るようにしていたが、彼女と会って以来その毛をなんとなく伸ばし始めた。
不満は跳ね返る。集まる。彼女だけではない、タイムラインの他の人も夫の悪口を言う。ツイッターにはちぢれ毛が繁茂していた。娘を昼寝させて、ぐったりと床に転がると、我が家のリビングにも縮れ毛は落ちていた。私はショーツだから滅多なことでは毛は落ちないだろう。夫のすね毛か陰毛か。私はこれを不快だと思わなければならない。彼女たちと仲良くしたかったら。本当にそうだろうか。オフ会のメンバーは五人に増えていた。コロナの営業時間短縮が緩んで、店をはしごしたけれど話すことは同じだった。
夏なのに長袖なの? 彼女は言った。うん、腋毛を伸ばしているからと心で返答する。彼女は日焼けは嫌だもんねーと一人合点している。春から腕と足の脱毛も始めたんだと彼女は言う。夏は腕を出すからお休みしているんだけどね。彼女は今やありとあらゆる毛を憎んでいる。イヤイヤ期まっさかりの彼女の娘は相変わらずちぢれっ毛。幼児らしい綿のような細さの、ちぢれっ毛。
昼間のお洒落なカフェで、私は雑穀やチョコを沢山入れたチャンククッキーを彼女にプレゼントした。その中に育てたちぢれ毛を刻んで入れたかどうかは、真夜中にこのクッキーを作った、もう一人の私に聞いてみるほかない。
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