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バロメーター

  毎年春に苺ジャムを作る。きっかけは「きのう何食べた?」という漫画だ。ジャムづくりの中では簡単だと紹介されていた。確か一度自家製を食べると味が忘れられないと書いてあって興味がわいた。

 この時期、つぶよりの苺以外に、親指の先ほどの大きさの苺がたっぷり入ったパックがスーパーに売られている。大学生の頃は、比較的安いそういう苺を生食用に買っていた記憶がある。ジャム作りが習慣になって、それがジャム用苺なのだと知った。世界の見え方はそんなことでも変わっていく。いそいそと大パックを買っていく年配女性を見ると、同志だなとか、もうそんな時期か、私も来週作ろうとか思う。

 苺は水洗いしてヘタを取り、砂糖をまぶす。砂糖は果物重量の半量にすると保存向き。好みで少し減らしてもいいけれど、その場合はなるべく早く食べよう。砂糖をまぶして数時間から半日置く。時間がなかったら、置かずに煮始めてもなんとかなる。

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 鍋に移して火にかける。ホーローがいいと言われるけれど、あまりに薄っぺらい鍋じゃなければどの鍋でも大差ないと思う。苺から水分が出るので水は足さない。焦げないように時々かき混ぜる。途中、灰汁がどんどん出るのでどんどん取る。灰汁は取っておいて、紅茶に入れるとロシアンティーになる。部屋はうっとりするくらい濃い苺の香りが広がる。

この写真の白い泡が灰汁。後から後から出る。

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 途中、煮汁に苺の赤が移る。煮汁は毒が入っているかのようなどす黒い赤に、苺は白茶けた赤になるけれど、構わず煮続ける。苺の粒に赤が戻ってきたら出来上がり。

 この写真はほぼ出来上がり。この時点でも少し灰汁は出るけれど、全部取りきらなくても大丈夫。

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 苺を煮始めたら保存瓶を別コンロで煮沸消毒しておく。ざるにあけて湯を切っておく。瓶の内部は触らない。

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 出来上がり!なるべく瓶一杯に入れて、空気に接しないようにする。ひと瓶きっちり入らないものは、冷蔵庫に入れよう。

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 季節の仕事はバロメーターだ。今年はなんとなく気が進まないなと思う時もあれば、早くあの苺が売り出されないかなと思う時とがある。

 それは記憶のカプセルでもある。たとえば、去年はあの人に絶望的な恋をしていたな、なんてことを思い出す。二人の間の暗雲も、灰汁のように取り除けたらいいのにと、陳腐な感傷に浸った。長女が赤ちゃんだった年は、昼間彼女が寝ている間にくつくつ煮た。長女の夢にこの素晴らしい香りが入り込んでいるのかな、などと想像した。記憶は、それぞれの作業の上に、幾重にも折り重なっていく。

 灰汁を取る、お玉で鍋をかき回す、苺の色を観察する。そういう単純作業は、閉じ込められた記憶を呼び覚ます。甘酸っぱい記憶とともに苺ジャムを食べる。バターやマーガリンを塗ったトーストの上に載せたり、ヨーグルトに合わせたり。

 今年の苺ジャムはさみしい春の味。

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