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富山県にヤマネコが出た話

 
【「山と渓谷」374号(昭和44年11月)より。】
 
「昭和四十三年十二月八日、富山県魚津市貝田新(かいだしん)の山田源平といふ六十才の炭焼き業者が、数キロ山に入った東山といふところでネコに襲はれるといふ事件があった。炭を焼くため、山道を登っていくと、杉の木の上に茶色の大ネコがゐて、じっとにらんでゐる。
 
襲ってくるなと直感して、身構へたとたん、樹上からまっしぐらに飛びかかって来たが、山田氏は構へてゐた直径四センチ、長さ二メートルの棒で格闘して、つひにこれを撃ち殺した。
 
このネコ、体長六十八センチ、尾の長さ二十二センチ、計九十センチといふ例のないネコで、毛は茶色でクリ色のシマがある。牙は外にむき出し、ヒゲは硬く七センチもあったといふ。
 
山田氏の報告をきいて、富山県林政課では「これはヤマネコかもしれぬ」と首をかしげ、詳細なデータを国立科学博物館へ送って鑑定を依頼した。もしこれがヤマネコだったら、本州にはゐないといふ学界の定説をくつがへすことになるのだ。
 
しかし、博物館の鑑定では、ヤマネコではなく、ふつうのイへネコが野生化したノネコらしいといふことで、もしかしたらと期待してゐた林政課の係員をがっかりさせた。
 
いち早く事件をかぎつけ、特別な紙面を準備して博物館の鑑定結果を待ち構へてゐた新聞社の報道陣の失望もおおきかったことであらう。
 ただ博物館では「ヤマネコではないがネコが積極的に人を襲ふのはきいたことのない珍しい話だ」
 
「寒がりやのネコが雪国で野性化して深山に済んでゐるといふのも、これまた珍しい例だ」と付け加えたといふ。
 
【以下略】
 
 
(追記)
※文中に登場する「富山県林政課の係員」は、後に県自然保護課長、自然博物園ねいの里初代館長になる湯浅純孝技師(当時27才)。


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