第二章 健康がすべての土台
1,ある「健康オタク」一派の不幸
世間的によく「健康オタク」という呼ばれ方をするが、私は「健康効果オタク」という名称が相応しいと考えている。しかし市民権が無いので「健康オタク」と呼ぶことにする。
中には、すごい方もいる。ヨガ歴〇〇年、ストイックな食生活を送り、健康的な生活を維持されている方には、心から頭が下がる想いである。
夜中にポテチでビールを一杯やるなんて無いだろうし、カツカレーにウスターソースをドバドバかけて一気食いするなんてことも無く、常にカロリーと栄養バランスに注意しながら、生活を送っている。
それで幸福感を維持しつつ、毎日笑顔で過ごせているなら、私は何の文句もないし、不幸だとも思わない。
勝手なイメージだが「水」と「オイル」と「塩」の話題だけでもすごく豊富そう。それでご本人がこだわりを持って楽しみつつ生活できているなら、いいじゃないか。
私が不幸だと断じるのは、ある「健康オタクの一派」である。
それは「健康オタク」の中でも、比較的大きな派閥といえる。
「情報に振り回され派」
かつては私もこの派閥に、知らず知らず所属していた。
例えば、あるテレビ番組で、納豆が動脈硬化によい、ということを放映したとする。
すぐにスーパーへ行って、納豆をたくさん買い込む。
そんなにたくさん買い込んでも、全部食べ切れるのだろうか。食べきれたとして、一度にたくさん食べたら短期間で一気に健康が増進するのだろうか。自分の「消化吸収する力」を過信してはいないか。
そもそも、納豆をたくさん食べただけで動脈硬化にならないのだったら、動脈硬化がこんなに国民の健康を脅かす存在にはなっていないはずだ。
納豆がいいぞって毎朝1パックずつ食べていても、毎日のように丸亀うどんで天ぷらを山盛りトッピングしていたら、健康になれるわけがない(かつての私)。
何かがよいと情報を入手すると、すぐにそればっかりやろうとする。それですぐ飽きて、また新しい健康法や食品に走る(かつての私)。
自分が病気になって死にかけて、やっと腹の底から理解できた。
「バランスが大事」
この使い古された、あたりまえの言葉こそが、健康を手に入れるための、唯一無二の至言であることを。
2,優先順は睡眠→食事→運動。睡眠で解決する問題は多くてデカい。
健康のために運動は大事。間違いない。有酸素運動と無酸素運動、どちらも大事。いろんな専門家の意見はあるが、どちらも「ほどほどに」やったほうがいい。
もちろん食事も大事だ。「バランスが大事」というと、すぐに「栄養バランス」の事を思い浮かべる方が多いだろう。それくらい食事は大事。
しかし、運動よりも、食事よりも、実はもっと大事なことが「睡眠」だということを、私はまだ52年ほどしか生きていないが、しかし100年の約半分をかけて、ようやく身体全部で理解をした。
まってまって。わかっている。「良質な睡眠のためには良質な食事と適度な運動」というのは、わかっている。睡眠・食事・運動は、サイクルで、このサイクルがうまく回っていくことが大事なんだって。
でもあえて、優先順位をつけるなら「睡眠」がいちばん先に来る。24時間断食するのと、24時間寝ないのと比較するより、もっと長期的に比較をしてもらいたい。
10年間、粗食で暮らすと、逆に健康になる、という話はよく聞く。しかし10年間、ずっと寝不足だと、健康になる、という話は当然聞かない。
心身の不調は、まず、睡眠の見直しから。
よく「何時間寝ればよいか」という話を専門家がしている。
7時間とか8時間とか言われることが多いが、専門家の話をよく聞いて欲しい。「目安時間」なのだ。
生まれ育った環境も違えば、遺伝子的にも違う。生活環境も労働環境もまるで違う。使っている寝具だって違う。
個人差はここでは考慮されていない。あくまで平均的なデータだ。平均値の算出方法を思い出してみて欲しい。合計を割り算しただけなのだ。その数字に縛られてストレスを感じるなんて、無駄な心配だ。
個人差だけでなく「その日のコンディション」という変数が大きい。朝から晩までゴロゴロしていた日の夜、残業続きでクタクタな夜、急な発熱で寝込んだ夜、それぞれ必要な睡眠というのは、変わってくるのは自明の事である。
それで、睡眠が足りないことの何がいけないかって、心と身体がボロボロに朽ちていくのに、心身どちらも回復ができていないのに、そのことに無頓着になっていく、麻痺していくことにある。
信号機は赤を示しているのに、気づかずにそのまま交差点に突っ込んでしまうのだ。
寝ても疲れが取れない、とよく言われる。私も年々その日数は増えている。これ、寝ても、と言っているが、ちゃんと眠れていないのだ。
まずは、睡眠を見直そう。薬には頼らなくて済む方法を。
3,食事は少量・多品目
正直な話、毎日完璧なバランスで栄養摂取されている方というのは、よほどのプロフェッショナルか、勘違いか、どちらかではないかと思っている。
昔から言われることは「腹八分目」。要するに「ほどほどがよい」と言っているのだ。
「少量・多品目」で、品目数を増やすことで、摂取できる栄養素の数は否応なしに増えるため、たとえばコンビニのお弁当で済ませるにしても、できるだけ品目数の多いものを選びたい。
もちろん、たまにはジャンキーな食事だってしていいし、胃袋がはちきれるほど食べたい日だってあるだろうし、個人的には月2回はそういう日があっても良いと考えている。当然これは誰にでもあてはまることではない。
医師と相談しながら・・・その医師というものが問題で、ラーメンは栄養たっぷりだから、毎日いっぱい食べていい、という方が実在する。そんなもの、個人差があるに決まってるっていうのに。
タバコを70年吸い続けても元気でいる人がいるくらいだから、そりゃあラーメンを毎日食べ続けても、平気な人もいるでしょうよ。
それでいえば、少量・多品目も目安にすぎず、
やっぱり日々、自分の心身と向き合いながら、必要に応じて専門家の意見も参考にしつつ、食べることがたいせつなのだ。
4,「健康体重」という提案
あなたが「好き」なら、栄養バランスに気を付けて、しっかり多品目を摂取することを意識すべきだ。そういうことが好きなら、続けていける。
しかし日々生きていくなかで、そんなにも細かく栄養バランスを測りながら毎日継続できる人がどれだけいるだろうか。
そこで私が提案したいのは「健康体重」。
標準体重と何が違うかというと、自分がいちばんベストコンディションで動ける体重は何㎏かを把握しておく、という事。
標準体重はあくまで「参考値」として知っておく必要はあるけれど、骨太で筋肉質な人と、細身で食べても食べても体重が増えない人を、一緒にしちゃいけない。
私の身長は174㎝で、そうすると理想的な体重は68㎏あたりだ。しかしそれだと、私の場合は、筋肉量が不足してしまうことが判明した。必要な体力が得られないのだ。筋肉量が足りないと、持病の腰痛も悪化してしまう。
だから70㎏台前半が、最も高いパフォーマンスを発揮できると、試行錯誤を繰り返しながら、やっとたどり着いた。
それからは、いろいろ調子がいい。寝込むことがほとんどなくなった。
あなたの「適性体重」だって、「標準体重」がベストとは限らない、ということを伝えたい。
5,ノーリバウンド・ダイエッ党
実は私は一度、体重を半分まで落としたことがある。冗談ではなく、本当に体重が半分になった。
その経緯などは、Kindle書籍としてAmazonで0円で販売(Kindle Unlimited会員向け)をさせて頂いている『ノーリバウンド・ダイエッ党』に書いた。非会員は99円も支払わないといけないので、ぜひ会員になって頂いて、お読み頂きたい。
私が党首をしているこの党は、党首自ら、リバウンドしちゃって!ほぼ崩壊の危機を迎えているが、それでもギリギリのところで「健康体重」を何とかかんとかキープできている。
ここでは書籍の宣伝をメインに書きたいのではない。99円で買って頂いても、私に入ってくる印税はいくらになるのか考えたくもないくらい安いから。
私が伝えたいことは「自分の経験を本に書く日を想定しながら」ダイエットに励むと、けっこうはかどりますよ、ということだ。
私のこの著書だって、お金儲けが目的なら、もっと読者特典として無料動画とか、セミナーとか、いっぱい付加価値を付けて売るべきだろう。誰か著名人のコメントも頂いたりなんかして。
そうではなく、ほとんど、自分のために書いた。
空腹でしんどいと感じてしまったときは、Amazonでこの本が売られているのを見る。この本の著者、じぶんだ。ノーリバウンド・ダイエッ党の著者が、党首自身が食欲に負けるわけがないと、
ちょっとだけストイックになれる、
そんな日もけっこうある。
6,結局のところ
何かを成し遂げようと思ったら、心身ともに、健康であることが、すべての土台なのだ。
自己流でああだこうだ試行錯誤するのも、楽しければすればいい。でもやっぱり「専門家の指導」は受けるべきだ。
近所のかかりつけ医でいい。ちゃんと相談して、指導を仰ぐ。
教えてもらった通り、日々実践し習慣化することは難しいかも知れない。
だから専門家のアドバイスは役に立たない、なんて、そんなことはない。
他者目線
これがすごく大事。
自分で考えていることなんて、ほんとうに狭いから。小さいから。それを自覚できない人は、認識を変えた方がいいよ。ほんとうに。
他者目線
これが大事なのだ。否応なしに他者と一緒に社会を構成しているのだから。
その他者が、素人ではなく、プロだったら、専門家だったら、必ず有益な情報を持っている。
それを100%全部忠実に実践しようなんて、食べた食事を100%全部吸収して、排泄物をゼロにする、というのと同じくらい難しい。
何%かだけでも、凝り固まった自分の思いこみがほどけるのならば、それだけでも指導を受ける価値はある。
あるよ。
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