第八章 就職する義務はないが、就職することで得られる自由も、じつは、ある。
1,就職支援
「まめじゅく」では、就職支援も行う。自分にどんな適性があって、自分の何をアピールすればよいか、なかなか自己を客観的に捉えるのは難しい。
自分をよく知っている人に色々尋ねてそれを参考にするのはいい。ぜひ参考にして欲しい。
それに加えて「完全な第三者の視点」も取り入れて欲しいのだ。
これまで数えきれない程、教え子の就職のお世話をさせてもらって、自分自身も規模は小さいながらも、採用面接やら、何やら、人事のことは一通りやってきた。
小さな会社、小さな事業所で働くメリットは、経理から人事から営業から何から何までさせてもらえる(やらなきゃ回らない)点にある。
大きな会社で働くメリットは、そりゃもう、挙げたらキリがないので、割愛する。でもその分、デメリットも色々あることはガマンしないといけない。それぞれ一長一短ということだ。
2,過去は過去。これからあなたに何ができるか。
履歴書の書きかたで「過去の経歴を知られたくない」・「過去の経歴をどう書けばよいかわからない」と、悩む人はけっこう多い。
学歴でバカにされたらどうしよう。
引きこもり期間をどう説明しよう。
少年院と刑務所に合わせて10年いたんだけれど、どう書こう。
あなたの過去の経歴だけで判断して、採用しないような、そんな会社は、もともと縁が無かったと断じよう。
業種にもよるけれど、
高校中退では、学校の先生など、特定の職業に就くことはできないことが多い。
20年間引きこもりで、今でも人と会話するのが何よりキライな人に、接客を任せようとするマネジャーはいない。
かつて10年にわたって横領を繰り返し、勤め先の会社を倒産させたことのある人に、金庫のカギを預ける会社はないだろう。
やはりそういうことはあるけれど、それはそれで「仕方ない」のだ。あなたという人間の価値は、そこには無いかもしれないけれど、別のところにある。必ずある。あなたがあきらめない限りは。
組織というのは、お互いの強みを生かし合い、お互いの弱みを補い合うことに存在意義がある。
「会社の歯車」というたとえを嫌う人は多いが、しかし、実際にチームといのは、組織というのは、かみ合わせが悪いと、うまくまわらない。
これからのあなたは、チームに、組織に、会社に、どんな風に貢献できるようになるのか。
その未来を提示すれば、提示したものを相手が欲しいと思ってもらえれば、就職はできる。
これからのあなたに何ができるのか。
あなただけで答えが出せないとき、私がいる。
3,就職することで得られる自由とは、何だ。
引きこもりが自由か?それはその人次第だ。
フリーターが自由か?それはその人次第だ。
サラリーマンが自由か?それはその人次第だ。
経営者が自由か?以下略
親が遺した不動産収入だけで生きている人は自由か?それもその人次第。
私の地元に、親がいくつもビルを保有していて、それをそっくり受け継いで、家賃収入だけで生きている男がいる。彼は「お金持ち」だ。
ところが、欲が無い。
彼は、やることがほとんどないので、毎日、コメダでコーヒーを飲みながら、新聞を読んでいる。
特にやりたい趣味もなく、コメダに通うことを毎日繰り返している。何かやりたいことがあるわけではないので、家にひとりでいると気が狂いそうで、コメダに来るらしい。新聞も読みたくて読むんじゃなくて、お店に置いてあるから、読んでいるだけだという。
彼は自由なんだろうか?
就職することで得られる自由とは、以下の通り。
1,社会的信用を得て、ローンが組めるから、身の丈以上の買い物ができる(あまりオススメはしないが)。
2,厚生年金に加入できる。国からの手厚い保護が受けられる(反論もあるだろうが、どの国と比べるかによる)。
3,会社という枠組み、組織という枠組みの中で制約は多いが、その制約さえ守れば、その中で自由に自分を表現できる。
私がいちばん声を大にして言いたいのは「3」である。は?と思った方ほど、以下をじっくり読んで欲しい。
本当の自由とは「枠組み」の中でこそ発揮される。
例えばサッカー。
もし「ルール無用」となって、何でも自由になれば、手でボールを抱えて走る選手が出てくる。キーパーが機関銃を手にして、50人くらいゴール前で控えていたら、対戦相手は装甲車や戦車を用意しないと戦えない。
そんな自由がOKになれば、これまで築き上げてきたサッカーの技術体系、競技としての魅力は全部壊れる。
自由な発想で想像力溢れる、ファンタスティックなプレーはもう生まれない。
ルールがあるから、縛りがあるから、自由で豊かな表現ができるようになる。
就職することで得られる自由の最も大きなことは
「組織やチームといった、お互いの強みを生かしあい、お互いの弱みを補い合う枠組みの中で(だから制約も当然多いけれど)」
「自分の強みを思う存分発揮できる(自分次第だけど)」
つまりこれは、自由な自己表現につながる。
もちろん、ルールに縛られて、できないことは多い。
先ほど例に挙げたサッカーの話を思い出して欲しい。がんじがらめのルールに縛られているからこそ、あのような独創的で創造的なファンタスティックでミラクルなプレーが生まれる。
そんなルールがイヤなんだったら、やめとけばいい。私のように。
でも「がんじがらめのルールに縛られている」からこそ、その中で自由に表現できる、という真実は、何度繰り返し語っても言い過ぎではない。
今度は音楽を例に取ろう。
もし楽譜や音階の無いまま、思うがままに適当に音を出しているだけだったら、数々の名曲が後世まで残ることは無かった。厳密な枠組みやルールがあってこそ、その中で、無限に自由な表現をしてみせる。
それが人間の営みだ。
大事なことだから繰り返す。
就職することで得られる自由とは、
「組織やチームといった、お互いの強みを生かしあい、お互いの弱みを補い合う枠組みの中で(だから制約も当然多いけれど)」
「自分の強みを思う存分発揮できる(自分次第だけど)」
それがわからないのに、自由を求めて退職しても、本当の自由は手に入らない。いっぽうでそれがわかれば、就職してから、きっとうまくやれるだろう。
4,おわりに
就職していない私が、就職を支援するのは変か?違う。私はかつてサラリーマンも経験しているし、自営業者も経験し、経営者のはしくれだったときもある。無職でフラフラしたこともあるし、フリーター経験もある。つまるところ、ひととおり経験してきたのだ。
だからこそ、あなたの「これから」に寄り添って、あなたがやりたいことを一緒にみつけて、支えることができるのだ。
相談だけなら無料なので、ぜひ声を掛けて欲しい。