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舞台『No.9 不滅の旋律』大晦日特別配信

2015年初演のものが昨年(2020年)再々演されていた舞台。大晦日の公演は新型コロナウィルス感染拡大防止ガイドラインが改訂されたことを受け、急遽10日ほど前に初のライブ配信が決定し、筆者はその配信のみ観覧しました。ベートーヴェン生誕250周年は、大晦日という最後の最後まで彼の人生を象徴するかのように波乱に満ちた1年になったようですね。

このnote記事はクラシック音楽も演劇も素養があるわけではない筆者が、観劇の余韻を味わう目的で残す備忘録のようなイベントレポートです。(ネタバレあり)


予備知識を得たレクチャーコンサート

2020年はベートーヴェン生誕250周年に関連したテレビ番組やコンサートを多く目にしたことで(コロナ禍でなければもっとあったようですが)、筆者はようやくこの舞台の存在に気づくことになりました。

昨年10月に観覧し、筆者のベートーヴェンの知識が増えるきっかけになったコンサート、「飯森範親と辿る芸術 Vol.3 偉大なるベートーヴェンの知られざる恋物語 ~金子三勇士を迎えて~ 」。(筆者のnote記事はこちら

このコンサートはベートーヴェンを取り巻く女性たちがテーマだったとはいえ、レクチャー形式だったために情報量が多く、ベートーヴェンの人柄や作品の背景をわかりやすく伝えてくれたものでした。観覧後はベートーヴェンに関するコンサートやテレビ番組が格段におもしろくなり、このコンサートが今回の観劇のきっかけとなったのは間違いないです。

ちなみに、舞台の公式サイトにはベートーヴェンの年表が載っており、このレクチャーコンサートの情報を当てはめてみるとさらに楽しめました。


「不滅」なもの

前述のコンサートでも取り上げられた言葉だっただけに「不滅の旋律」というタイトルに引き寄せられました。「不滅の」といえば、恋多きベートーヴェンが何度もよりを戻し生涯愛したと言われるヨゼフィーネ・ブルンズヴィクに宛てた「不滅の恋人へ」という手紙ことか?(宛先が誰だったかは諸説あり)それが「旋律」にかかるということはどういうことなのか?好奇心が掻き立てられました。

ストーリーの中で幾度も出てくる「不滅」というセリフ。

初のオペラを酷評され、自暴自棄になってその酷評したフランス兵たちと酒場で騒ぎ、制作途中であった第九を彼らに歌わせてみるシーン。自信を取り戻したベートーヴェンが言う。

たとえ耳が聞こえなくなっても自分の音楽は不滅だ

封建社会とその崩壊、ナポレオンの地位転換による尊敬と軽蔑、ウィーンを巻き込む戦争など、激動の時代を生きたベートーヴェンが言う。

政治は移ろうが芸術は不滅だ

この舞台で様々な対象に使われていた「不滅」というセリフを通して、筆者にはこのようなメッセージがあるように思えました。

家族・恋人(身分)・友人・社会などあらゆる外的な要因に振り回され、自分の才能は「不滅」であるという自信と、音楽制作を貫き通す信念を持ちながらも何度も自分を見失いそうになりながら生きたベートーヴェン。その音楽人生の集大成となり、最後の交響曲となった第九で大成功を収めた後、それまで見えていなかったもうひとつの「不滅」なものを知る。

父親の虐待の影響で人を愛することに歪みがあるベートーヴェンは、あらゆる人との人間関係を上手く築くことができなかった。友人(兄弟や仕事のパートナー)も傷つけあって一旦は離れてしまうが、ベートーヴェンを支えた友人たちがいなければ第九の成功はなかったと気づく。彼らの友愛こそ、ベートーヴェンにとって最も大事な「不滅」なものだった、ということではないかと。

最初はバラバラだった第九の歌声は、ラストシーンで心ひとつになったと言わんばかりに初めて曲としてまとまる。この演出には感動しました。

と書いておいて、実はエンディングあたりで少し席を立たねばならないことがあり、きちんとメッセージを受け取れていない可能性が...。もう一度見直したい…。


音楽

舞台が始まってさっそく驚いたのが、ステージセットのひとつとして両サイドに置かれたピアノが生演奏されるということ。ピアニストも登場人物であるかのように舞台の時代背景にあった衣装を着ており、シーンの移り変わりや重要な場面で実際にピアノを弾いている。この舞台はミュージカルだったのに勘違いしていたのか?とオーケストラピットを探してみたりしばらくの間そわそわしていました。どうやらセリフの途中で歌うことはないらしく、オーケストラがいないことは公式サイトをカンニングして確認。妙に安心しました(笑)。(舞台の作りをじっくり見ることができるという点では、劇場での観覧にかないませんね)

ピアノの生演奏が聴けるという思いがけない発見により、いっそう高まる期待。ピアノの澄んだ音がとても心地良い。この舞台はぜひ劇場で観るべきだと思わせるものですが、この1回分で推し(笑)のリサイタルに2回行ける料金だと考えると配信がなければ見送ったかもしれず、思わぬラッキーでした。ちなみにそのピアニストは国内外でソリストとして活躍する、末永匡さんと梅田智也さんというおふたりなのだそう。終始客席に背を向けているので、どのような方たちなのかこちらからは全くわかりませんでした(笑) 

生演奏を活かすためか、舞台に使われるベートーヴェンの作品も(オール・ベートーヴェンだったはず)ピアノソロ曲が多く使われていました。筆者はいくつかわからないものがありながらも、知っている曲が流れたときには気分が高揚し、より深くストーリーに没頭できました。特にピアノ・ソナタ「熱情」と「悲愴」は印象的なシーンで繰り返し登場しており、それ以来、筆者に「熱情」ブームが到来しています。思えばこの舞台では三大ソナタ(悲愴・月光・熱情)を、さらにはそれほどメジャーなくくりではないとはいえ四大ソナタと言われる(三大ソナタ+テンペスト)を網羅していました。おみそれします…。

特にたまらなかったのは、恋愛関係が順調に見えたヨゼフィーネに振られたときに流れるピアノ・ソナタ 第14番「月光」第1楽章。というのは、この曲はタイトルから連想されるように月の光をテーマにしたものである、という一般的な認識が実は違うという話を聞いていたため。これは音楽に詳しい一部の人たちの間では有名な話のようで、前述の指揮者・飯森範親さんの解釈によると、身分の違いにより叶わなかった恋愛のことに思われるのだそう。この舞台の音楽監督もその一部の方なのだろうと想像して、なんだか秘密を共有したかのような嬉しさがありました。

「プロメテウスの創造物(エロイカ)」もよかったです。確かベートーヴェンがナポレオンを毛嫌いしているときに流れるという。


No.9 ~交響曲第9番~

今年まで第九が、特にその合唱「歓喜の歌」(第4楽章)が、何の喜びを歌ったものなのか知らず、日本語訳をいくつかネットで検索などして斜め読みしてみても、なんだか難しい言葉が並んでいて意味が読み取れず。また、年末になると頻繁に流れてくる曲というイメージで、実を言うとちょっと飽きていました(笑)。さらには第九を大晦日にこれほど演奏するのは日本だけであると最近知り、発祥とは異なる盛り上がりを見せるクリスマスやバレンタインデーのようなものかと思い、輪をかけて興味を無くしていました(笑)。

どのソースを辿ったか残念ながら忘れてしまいましたが、最近になって第九は「世界中の人と手を取り合って自由で平和な世界を作ろう」といったような歌詞であると知ったのでした。ベートーヴェンが伝えたかったのは「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」ではないかという解釈もあるようす。

なんと大きく熱いメッセージなのだろう。急に好奇心にかられ、この年末は第九を歌うテレビ番組を観たり、配信動画を探したりと、その歌詞に込められたメッセージを受け取ってみようと奮闘することになりました。


出演者

稲垣吾郎さんの演技力を甘く見ていました。ウェービーヘアが似合って外見がベートーヴェンにぴったりだとは思っていましたし(実際は浮浪者に間違われるほどボサボサで、稲垣さんのようなおしゃれなものではない...)、その神経質さやプライドの高さなどの繊細な表現は上手なのではという印象は持っていたのですが、実際は衝撃に近いものがありました。激しく逆上する姿やその声色、狂気で床をのたうち回るシーンなどは、迫力と凄味があり見事!もう役者さんが誰なのかは忘れ、ベートーヴェンにしか見えませんでした。はまり役とはこういうことを言うのだと思わされた舞台でした。

メトロノームや補聴器などを持ってきた発明家役の片桐仁さんもいい味でした。テレビドラマなどで拝見していた片桐さんが出てきただけで、そのコミカルで独特な演技が見れるだろうと期待してしまいますが、期待以上の存在感。そして他の役者も彼の路線に引っ張るような演出がいくつも入っていて、予想以上に笑わされました。面白かった。

個人的にはベートーヴェンのパトロン(経済的サポーター)であり、彼が熱望していた音域の広いピアノを贈ったワルトシュタイン伯爵を見てみたいと思っていましたが、今回のストーリーには登場せず。彼は一体どういうキャラクターか、偏屈で複雑な性格のベートーヴェンと長い間どう付き合っていたのか、事実はもちろん知りたいのですが、イメージだけだとしてもとても興味があります。こうなると、ベートーヴェンの他の作品のものも観てみたくなりますね、稲垣さんで。


最後に

ベートーヴェンなどクラシック音楽は革命・戦争・疫病など、様々な難局を経ながら人々を癒し、励まし、感動を与えながら継承されてきたもの。そして今まさに世界中の人たちが新型コロナウィルスの影響により苦しい時を生きています。

なんというタイミングだろう。昨年はベートーヴェン生誕250周年であったにも拘らず、1年ほぼ丸ごとコロナ禍の影響を受け、コンサートなどが相次いで中止になる様子を見ながらそう思っていました。筆者にはこれがベートーヴェンからのメッセージに思えて仕方ないのです。

ベートーヴェンはあえて、彼の音楽をいつも通り演奏できない環境という困難を引き受けて「この状況でも私の音楽を鳴らしてみなさい。今までも先人たちがそうしてきたように。その音楽の先に必ず希望が見えてくるはずだ」と、現代の私たちを励ましているような。逆にいえば、今こうして私たちを導くために彼の音楽は200年間も生き続けてきた、とでも言いたいかのように。そんなベートーヴェンの声を信じて試行錯誤し、ソーシャル・ディスタンスを取ったコンサートや動画配信など新しい音楽鑑賞のかたちを実現させた音楽家たちは、この難局でも音楽を届け、人々を希望に導いてくれているのだと紐づけてしまいたくなります。

筆者が敬愛するピアニストの金子三勇士さんがコンサートでよく仰るメッセージからインスピレーションを受けながら、ベートーヴェン生誕250周年イヤーに観劇することになった舞台への想いを書いてみました。

(第九も演奏された金子三勇士さんのジルベスターコンサートの記事もお時間あったらぜひ!)

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