アルバイトと大学生と同調圧力「アルバイトをしなくては」という強迫観念

 現在私は大学生をやっている。都内の私立大学に通っている。私立大学に通っているといえども、特段裕福な家庭ではない。実家では壊れたエアコンを買い代えるのにも長い間渋っている母もいる。しかし、2年生時から実家を離れ一人暮らしをさせてもらったり、必要最低限なものは望めば付与してくれたりする両親には感謝しかない。一人暮らしを始めた理由は、様々ではあるが、大きな要因としては「通いやすさ」がある。実家は千葉県にあり、都内の大学に通うには片道バスと電車で2時間はかかる。そんな場所から1年生の時は通っていた。そんな苦行も甚だしい大学生生活をしていたら、頻繁に体調を崩すようになり、2年生になると同時に東京で一人暮らしをしようと一大決心をしたのである。(まあ、そのほかにも理由はあるが長くなるので)
 そのように一人で生きるんだと意気込んで始めた一人暮らしであったが、一人暮らし生活2日あまりでいわゆる「ホームシック」というやつが大きな壁として私の前に立ちふさがった。まあ、そんなこんな紆余曲折ありながら手探り状態の新生活がはじまった。そこで、大学生の一人暮らし(一人暮らしに限らないが)とは切っても切りはがせない「アルバイト」をすることとなる。そう、なんら特別なことはない「アルバイト」である。しかし、私は今回この点つまり、『大学生の一人暮らし(一人暮らしに限らないが)とは切っても切りはがせない「アルバイト」』という大学生にとって「普通」なことについて考察したい。
 端的に言ってしまえば、「なんで大学生がアルバイトしなければいけないの」ということだ。大学生であるならばアルバイトをやっていることは「普通」であり、それをしていなければすぐに「ニート」と呼ばれる。もちろん「ニート」の定義からしてそれは間違っているのだが、ここではわざわざ面倒な反論は控えたい。とにかく、「大学生であるならば、アルバイトをしていることはマストでしょ」という雰囲気がある。実際、大学内を歩いていたり、講義が始まるまで他の人たちが話しているのを盗み聞きしていると(大学ではたいていひとりである)、その会話の大部分がアルバイトである。「バイト先でさあ~」や「5連勤なんだけど~」といった枕詞が多く行きかっている。そのたびにうんざりするのだ。いや、ここで言っておきたいが、私は決してアルバイトをしている人を揶揄したいのではない。アルバイトをしている人には尊敬すらしているし、素直にすごいなと思っている。しかし、私がアルバイトをしていないということ、またそのことがマイノリティであることから勝手に悲観的になっているのだと思う。どういうことかというと、自分自身を大学生なのにアルバイトをしていない「普通」から外れた存在であると感じてしまうのである。先ほど、アルバイトを始めたといったが確かにそれは事実である。一人暮らしを始めて最初にやったのはパチンコ屋の清掃である(週2回、2時間、1か月でとんだ)。また夏休みの間にやった区営プールのスタッフ(週3,4回、5時間、結構頑張ったけど体調を崩し始めたため2か月でとんだ)。その他現在に至るまで試験監督や軽作業の短発バイトをやった。このようにアルバイトの経験自体はあるのだが、1年間を通してアルバイトをしていない期間のほうが圧倒的に長い。そのため、アルバイトをしているという大学生として「普通」な状態から外れている期間のほうが長いということになる。したがって、他の大多数のアルバイトをしている大学生によって、本人たちの意図しないところで作り出される「雰囲気」を勝手に感じ、悲観的になってしまうことが多くあるのである。そこで、考えたいのが①そもそも大学生がアルバイトをする理由とは②私自身のアルバイトをしなきゃという焦りや悲観は、マジョリティが意図せず作り出している「普通」や「雰囲気」の裏にある「同調圧力」から引き起こされているのではないか、という大きくわけて2つの論点である。ことわっておくが、これは私が勝手に頭の中で考えていることなので、いわゆる論文構成や論理展開などをあまり考慮せずだらだらと書き連ねている。

 さて、①そもそも大学生がアルバイトをする理由にはどのようなものがあるだろう。私なりに列挙してみたい。
 ⑴お金を稼がないと生活ができないから
 ⑵趣味や余暇に使うお金がほしいから
 ⑶社会経験を積むため
 ⑷興味がありやってみたいという意欲があるため
 ⑸周りもやっているし、「雰囲気」的にやることが「普通」だから

 大きく分ければ以上のようなことがあると思う。もちろん上記のうちいずれかの一個が理由として該当するという場合もあるだろうが、複数個当てはまる場合もある。(たとえば、趣味に使うお金を稼ぎながら、社会経験を積むためとか)
 今回中心的に考察したいのは、⑸周りもやっているし、「雰囲気」的にやることが「普通」だからであるため、このまま②の考察に入ってもよいのだが、他の理由たちについても少し考えてみたい。
 上記の理由のうち、⑴、⑵は経済的な理由であるといえる。⑴については、奨学金や保証人からの仕送り等では、生活がままならず、自分で稼がなくてはいけないという昔の言い方でいえば「苦学生」のような場合。
そして⑵は、保証人等からお小遣いをもらうことができないか、もらえたとしてもそれだけでは足りないという場合。
 ⑴、⑵についても各学生の家庭状況等が異なるため一概に断定はできないが、大きく抽象すれば、上記のような理由に該当することが多いように思われる。
 ⑴、⑵について共通して考えられるのは、一般的ないわゆる「大学生生活」を送るためには家庭からの援助だけでは足りず、自らが「働かざるをえない」というケースであるということである。この点で見ると、ドイツや北欧の国々のように日本よりも課税負担が大きく、教育や福祉が充実している他国と比べるとこのような「働かざるを得ない」という状況にいる学生が多いのではないかという感じがする。この点についてはまた別の機会に詰めて考えたいと思う。(日本社会、経済の構造的な問題があるのでは、、)

 話を戻そう。今回は経済的な理由ではなく、なんとなくみんやっているからという⑸の理由について考察する。日本社会は、「みんないっしょである」という同調圧力が強いという指摘は各書籍や評論家等々がいっている。私自身その通りだと思う。その同調圧力が大学生間のアルバイト事情にも関係しているのではないかと考えるのである。経済的な理由は個々人によって違うので、その要素を抜きにしても、なんとなくでやらなくてはという強迫観念に苛まれてしまう学生がいるのではないか。(私自身感じたことはある)
 アルバイトをやっていることが「普通」という学生間や社会的な「雰囲気」が醸成されているように思えてならない。その雰囲気に押し込まれ、アルバイトをやっていない少数者は同調圧力を感じてしまい、「自分もアルバイトをやらなくては」という強迫観念さえも感じてしまうのであろう。個々人によって、経済的な事情、健康事情等まったく異なるのにも関わらず、しばし社会を覆う「雰囲気」というやつは、そのようなものをまったく考慮することなく徐々に大きくなり、マジョリティ形成してしまう。そのマジョリティに属さないマイノリティは「同調圧力」を感じざるを得なく、「アルバイトをしなくては」という強迫観念を抱いてしまうのだと私は考える。

 簡単にいえば、以上のことが私が頭の中で考えた、いわば根拠のないことである。様々な統計やデータを用いれば、仮説の実証も可能だとは思うが今回はやらない。ふんわりとした考えを提起してみたかっただけである。最後に、現役大学生が上記のような「雰囲気」を感じてしまった具体例を話して終わりたいと思う。
 ある大講義で、先生に対して大学のネットワークシステムを使って質問するという機会が設けられた。その講義の受講者数は300人前後いたと思う。
生徒がスマホやパソコン上で質問を書いて送信すると、教室内のスクリーンに映し出されて、先生がそれに随時答えていく。そこで「おすすめのアルバイトは」という学生からの質問が映し出された。それに対し先生は、「学生のうちは働かなくていいです。」と返答された。その時会場に「オー」という驚きと戸惑いが混じったようなどよめきが起こりました。これは「大学生ならアルバイトをやっていることが当たり前」という自分たちがすっかり信じきった潜在的な価値観に一石を投じられたためであると私は考える。先生は続こう続けた。「どうせ卒業すればいやでも働くのですから。もしやるなら、自分が将来やりたい仕事に関係したこと、マーケット調査の一環でとか」と。
 
 


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