「水たまりで息をする」高瀬隼子
私は本を読むのが好きなので、読んだ本から感じたことをつづります。
ネタばれはしないので気になった方はぜひ読んでみてください。あらすじくらいは書きます。
この本は、夫が急にお風呂に入らなくなった話だ。
本当にそれだけだと思う。このお話は、単純でありながら、その真意を読み取るのは難しくて、私も完全に理解できたかといわれると自信が持てない。
ただお風呂に入らないだけ。そんなことをそんなことと捉えられるかが論点になってくると思う。
私は、この本を本屋で見かけたとき、表紙に寂しさと葛藤みたいなものを感じた。そもそも私は書店で買うよりも中古で買うことが多いので、こうやって書店で買うのは珍しい。
このお話をよんで、都会と田舎の違いを意識した。都会の自由さと不自由さ、田舎の自由さと不自由さ。私たちは、いろんな生きづらさを感じながらも生きている。
今の私には、生きづらいなら、できるだけ生きやすいところで生きればいいんじゃないかと楽観的に思えてしまう。でもそう思えるのは今くらいまでなんだろうか。
つらいながらもなんとか生き延びてしまう人が山ほどいるこの世界で、どんな生き方をした方がいいなんて答えはないけれど、そういう人が少しでも自分を受け入れて生きれたらいいのに、と思うお話だった。
この下からネタバレの可能性があります。
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このお話で一番引っかかったのは、やっぱり最後の終わり方じゃないだろうか。
最後、夫がいなくなったにもかかわらず、見つかるまで探さずその後どうなったのかわからず終わる。
おそらく夫は川に流されてしまったんじゃないかと個人的には思っている、、
妻は夫を本当には愛せてなかったのか。夫はどうだったんだろう。
結局、人は自分が一番大事で、自分の評価として周囲のつながりをつくっている。
そんな冷たさがこのお話の節々で感じられた。
この本のタイトル「水たまりで息をする」の主語は誰なんだろう。
台風ちゃんなのか妻なのか夫なのかみんななのか。
誰かによって、何かによって作られた「あたりまえ」に縛られたこの世は、水たまりなのかもしれない。
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文庫本も出ています。ぜひみなさん読んでみてください!
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