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世にも奇妙な、私が体験した不思議な話

みなさんは、スピリチュアルな話はお好きですか?
わたしは、好きという訳でもないですが、体験したことは何度かあります。

最初の体験は、今から48年も前の中学生の時でした。


中学生のとき

自転車に乗っていて

夏やすみのある日、自転車で坂道を下っていた時のこと。
坂道の先に、以前から気になっていた同級生が見えた時、
『わぁっ、どうしよう!』
胸は高鳴り、ドキドキが止まらない。

ヤバい! ヤバい!
どんどん彼に近づいていくー。

その瞬間、
わたしは道路わきにある側溝(高さ1.5M、幅1Mぐらい)めがけて、
自転車ごと突っ込んだ。

わぁー落ちるー!

もうどうする事もできないと目をつぶった時、
身体が宙に浮き、誰かに抱っこされたカンカクが・・・
まるで、お姫さま抱っこをしてもらったかのような感じ。

そのあと、地面にスーと身体を置かれた気がした。

気づいた時、私は自転車とともに側溝に落ちていた。
自転車のハンドルは曲がっていたが、わたしは無キズだった。

その後、すぐに近くの人が助けにきてくれ、
わたしと自転車を側溝から引きあげてくれた。

「ケガしてない?」と親切なその人は
ケガの心配までしてくれたが、

「ケガはしていません」と伝えると安心したように、
その場から去られた。

ようやく我に返り、彼のことを思い出した。
そう、そもそも側溝に突っ込んだ理由が彼を見たからだった。

『彼に落ちるところ見られたんかな?』
『見られていたらどうしよう。恥ずかしくって学校に行けない』

その場所に彼がいたかどうかを確認するのさえできなくて、
大急ぎで家に帰った。

夏やすみが終わり、うわさを覚悟して学校に行くも、
私が自転車ごと側溝に落ちたなど、話題にもなっていない。
良かった・・・

それにしても、あの時『お姫さま抱っこ』をされた感覚は、
48年経った今も忘れられない。

目にはみえない誰かが、わたしを守ってくれたんだと信じている。

コックリさんのお告げ

ある日の放課後、ひとりの同級生が「コックリさんしようよ」と
わたしを含めた数人に声をかけた。

当時、『コックリさん』遊びが
学校の中で、ちょっとしたブームになっていた。

『コックリさん』とは、紙のまん中に鳥居、まわりに数字とひらがなを書いて、
10円玉をまん中の鳥居に置き、全員が人差し指を10円玉におき、
質問をすると、10円玉が勝手に(?)数字やひらがなに動いて
こたえを示してくれるという遊び。

そして、4人で『コックリさん』が始まった。

質問の内容は、おませな中学生が関心のある
好きな人は誰かーとか、何歳で結婚するかーとか、何人子ども産むかーとか。
今から思えば、しょーもないと思える内容が多かった。

今は、スマホもありゲームもありの時代。
放課後は塾に行く子どもも多い。

当時は、中学生が放課後にすることといえば、
部活か、はたまた教室で恋バナで盛り上がることぐらい。

さて、この時、わたしが『コックリさん』に質問したのは、
まさに、しょーもない内容の「何歳で結婚しますか?」だった。

10円玉がスーと動き、示されたのは、2と7。

え〜 27歳?
えらい晩婚だなーと思ったけれど・・

『コックリさん』のお告げどおり(?)
私は27歳で結婚しました(笑)

社会人になったとき

夢がまさかの正夢に

社会人になってまもないころ、
あまりいい話では、ないのですが。

ずいぶん、ご無沙汰していた親せきが、
自殺するという夢をみちゃったんです。

数日後、その親せきは本当に自殺しました。

それから数年たって、別の親せきにお別れを言われる夢をみました。
数日後、その親せきが自殺未遂をしたとの連絡。

その親せきは、生死をさまよいましたが、命はとりとめました。

結婚したあと

はじめての子どもが生まれたとき

病気で入院中だったおばあちゃんが危篤だと知らされたのが、
長女出産の翌日。

おばあちゃんは、わたしが妊娠中から
色々と気遣ってくれていた。
出産予定日を過ぎても、
産まれるそぶりがないのを心配もしてくれていた。

そんなおばあちゃん、わたしの出産を見てくれていたかのように
出産翌日に危篤状態。

大好きだったおばあちゃんの所に、飛んでいきたかった。
けれど出産翌日で、入院中のわたしはどうすることもできなかった。

そして6日後、わたしは生まれたばかりの長女とともに退院した。
タクシーに乗り、家に着いて、長女を布団に寝かせ、
ひと息ついたとき、家の電話が鳴った。

おばあちゃんの危篤の知らせを聞いて、地元に帰った母からだった。

何か悪い予感はした。
ちがう!ちがう!
自分の予感を全力で否定した。

けれど、いつもとは違う母の声ですべて察知した。

「おばあちゃんが今、亡くなったよ」

おばあちゃんは、幼いときからわたしの事をずっと見ててくれたよね。
だから、出産も退院も見ててくれてたんだよね。
家に帰って来たのを見届けたから、
安心して天国行ったんだね。

おばあちゃんの想いを感じた出来事でした。

3人目妊娠中のお告げ

第3子が授かった時、通っていた産婦人科の先生は、
男女の性別は教えない先生だった。

聞いたら怒られるよ!と
その病院で出産経験のママさんたちから言われていたので、
怒られるならと聞けなかった。

上の子2人は女の子、わたしも女3姉妹だったので、
たぶん3人目も女の子だろうと思っていた。

出産予定日も近くなった頃、耳もとでささやく声が・・・

『元気な男の子が産まれるよ!』と

『えっ』と振り返ってみたが、当然誰もいなかった。
家には、わたししかいない時だったから。

出産を迎え、産まれた時に、看護師さんの「男の子ですよ!」に、
「えっ?」と聞き返したわたし。

看護師さんはニコニコしながら、
「そうよねー わたし達も女の子だと思って、女の子用のピンクの布団を
用意してたから。すぐに男の子用の布団に変えますね」と。

分娩した病院は、個人病院で、ベビー用の布団は看護師さんが作ってくれていたのだ。

あのとき、『男の子が産まれるよ!』と耳元でささやいた方はどなただったのでしょうか。

おわりに

不思議な体験をする人は、生死の境をさまよったことがある人って
聞いた事がある。

わたしは確かに産まれる時に、そんな体験をしたそうで。(自分ではもちろん覚えていない)

お母さんの命と赤ちゃんの命、どちらをとるかと医者に言われたほどだったと。
(結局、ふたりとも助かりました)

そうであれば、わたしはこの世に産まれていなかったかもしれない。

生と死は、いつも隣合わせだと思っている。

だからこそ、今ある命を大切にし、
命あることに感謝をしたい。
出会う人すべての人にも感謝をしたい。
人に優しくするように、自分にも優しくしたい。

生きている事さえ奇跡だと知っているから。

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