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~陽だまり~ 幼い頃の記憶

学校に戻りたいなぁ~とあえて思うとすれば、それは唯一小学校時代。
私は、高度経済成長期時代と重なるように幼少時代、少年時代、青年時代を過ごしました。言えば、昭和と共にそうした時期を過ごしてきた人間です。

小学生の頃は、いわゆる集合住宅である団地に住んでいました。経済成長に地方から働きに来る人を吸収すべく用意された居住区だったのでしょう。私の両親も九州の外れから就職のために上京した人でした。

公団ウォーカーHPより

あたりは、鉄筋コンクリートで建造された建物とは異なり、秋になればすすきが繁茂するような野っ原でした。詳しく覚えてはいませんが、そんな団地の中にある小学校は1000人規模のマンモス校だったと記憶しています。学校には、プレハブが立ち並び、プールも体育館もありませんでした。卒業式は、中学校の体育館を借用して行うような小学校でした。

小学校を卒業してから40年以上の月日が経つというのに、その野原で駆け回って遊んだ風景、団地の建物と建物の間にある芝生で野球をして過ごしていたことが今も脳裏に焼き付いています。小学校から帰るとランドセルを玄関に放り投げ、「行ってきます!」と言って遊びに出かける毎日でした。

小学2年生の時に、繁茂するススキ野原に段ボールを持ち込んで組み合わせて作った基地。そこで、野外に作り上げたスペースで過ごすことは何とも楽しい時間でした。小学校3年生の時にはよく近くの神社を訪ねました。境内の木に登りそこでくつろぎながら過ごした時間も忘れられません。近くを走る電車🚃は単線で、団地近くの駅は無人駅でした。小銭で乗れるその電車に乗って北へ向かうとやはり小さな無人駅から新幹線🚅見ることできました。小銭を握りしめ、当時厚紙のような切符を手にして新幹線を見に行くことは楽しみで仕方ありませんでした。

小学校の先生の家にも何回も遊びに行きました。牧歌的な田園地帯にある先生の家に何人もの級友と連れ立って遊びに行ったことも良き思い出です。今から考えるとよく子供の相手をしてくれたなぁ~と思います。

学校でも放課後には教室に先生がいて、話のできるようになった高学年の頃は、よく担任の先生とおしゃべりをしたことも忘れられません。多分、そんなことをしながら、なんにも心配しないで無邪気に遊んで過ごした小学生時代が私を育んでくれたんじゃないかと思います。その後の私が成人してどうだったのか、どんな人物になれたのかは自分では判断ができません。しかし、社会で後ろ指を刺されることなく世の為、人の為に働くことはできました。

そう考えるとそれはそれで充分だったのではないかと思うんです。子供時代は、将来を考えて準備することも大切かも知れません。そして、それと同じように伸び伸びと大いに遊ぶことも人の成長には欠かせないと今になって改めて感じています。

これまた何十年ぶりかに🏕キャンプに出かけ、若い人たちが子連れで楽しそうに過ごしている姿を目の当たりにして自然の中に身をおいて遊ぶことの大切さを思い出した気がします。便利な物に囲まれ、不自由なく過ごせる社会になってわざわざお金をかけて、ふ不便な自然の中で過ごすキャンプのようなものが流行るのもそうした便利な社会の揺り戻しなんじゃないかとふとキャンプに出かけて感じました。

久しぶりのキャンプ

小学校を卒業した私は、さらに田舎の新興住宅地に親が求めた家に引っ越すことになりました。小高い山を切り崩して開発した新興住宅地はまだ家もまだらでした。そこで、初めて野うさぎを見、山に取りに行っていたカブトムシが家に飛んでくるような場所でした。入学した中学校の友達には、牧場を営んでいる家の子供もいて遊びに行くことが楽しく刺激的で仕方ありませんでした。中学では入部していた部活も早々に幽霊部員と化し、自宅の裏山を毎日のように仲の良くなった友人とほっつき歩いていたことも思い出しました。

こんな自然の中で育ち、自然と触れ合いながら成長できたことは幸せだったなぁと…

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