【読書】 斎藤孝 『スラムダンクな友情論』ーー「あこがれにあこがれる」とはどういうことか
これもブックカバーチャレンジで紹介した本です。薄い本ですが、中味は濃い。かの斎藤孝がその圧倒的な読書量を生かして、縦横無尽に本を引用しながら主に十代の人たちに向けて友情について語った本です。
しかし斎藤氏の説明能力の高さに改めてビックリ。エリクソンの「アイデンティティ」の概念を
「”君は誰だ”と聞かれたり、”自分は何者だ”と自分に問うことがあるとして、”自分は〇〇だ”と”張り”を持って答えるとする。その”〇〇”が”アイデンティティ”だ」
という説明しているのに唸りました。
『あしたのジョー』で金竜飛(朝鮮戦争のため悲惨な過去を持つライバル)への劣等感に苦しむジョーが、違和感を手掛かりに自分の本当の気持ちを探っていこうというプロセスを「ジェンドリンのフォーカシングだ」と解説しているところにも瞠目。
とにかく、引用される本たちが余りに魅力的なので、この本をきっかけに小林秀雄のエッセイを買い直したし、『スタンド・バイ・ミー』も『ゲド戦記』も読み直し、松本大洋の『ピンポン』は大ファンになりました。
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学習という文脈で重要な指摘があります。それは、「あこがれにあこがれる」ということが極めて大事だ、ということ。
「あこがれにあこがれる」とはどういうことかというと、好きなミュージシャンでも、英語や数学などの教科でも何でもよいので、「あの人がそんなに好きなものなら面白いのかもしれない」と思うことです。
何か新しい世界へ「あこがれ」をもって向かうベクトルの強さに、僕たちは「あこがれ」をかきたてられるのだ。
情熱を「傾ける」というけど、ほんとに、この熱意の「傾き」とか「加速度」が人をひきつけ、巻き込む。
ビジネスにも当てはまる指摘ではないでしょうか。
最近の脳科学の知見では、「脳はまず入ってくる情報に対して感情のレッテルを貼り、その後に思考する」と言われています。
子どもの頃、「あの先生が嫌いだからこの教科も嫌い」といったことはなかったでしょうか。脳科学的に説明できることだったのです。
教師やリーダーなど、人の前に立つ人たちの責任は重大です。「あの人があんなに好きなものなのだから、面白いのだろう、自分もやってみよう」と思ってもらえるようになりたいですね。
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