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中村文則『掏摸』『王国』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.10.16 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第4回大江健三郎賞を受賞し、英訳がウォール・ストリート・ジャーナル紙で、2012年のベスト10小説に選ばれた『掏摸』と、兄妹編である『王国』です。

天才スリ師である私と、社会的要人の弱みを人工的に作る女、娼婦ユリカの話ですが、どちらの物語にも登場するのが、陰の主人公・悪漢木崎です。どちらの物語も、絶対的悪である木崎に抗っていく主人公たちを通して、「世の中の理不尽」を、そして「運命」を問うような小説でした。

「全ては遊びだよ。人生を深刻に考えるな」「肝心なのは、この世界の様々な要素をどう味わうかだ」という木崎は、人の人生を手玉にとって楽しむ存在であり、権力の意味でも、策略の意味でも、どうやっても逃れられない不気味な存在で、それこそ悪意の「神」といえるような人物です。

どんなに抗おうとしても、木崎に弄ばれるしかない主人公たちの現実は、たしかに世の中の理不尽に翻弄されるものの象徴のようですが、どちらの作品にも、木崎の気まぐれが、結果として木崎の計画の破綻をもたらしているという事実、またそれによって、敗者であるはずの主人公たちに「生」と「自由」が与えられている展開を面白く読みました。この破綻は、木崎にとっては、小さなものに過ぎませんが、ちっぽけな人間にとっては生死を左右する大事であり、両作品には、自分自身で運命を変えていける希望が描きこまれているように感じました。

この窒息しそうな世界で、もがいている全ての人たちに対して、何かできないだろうか。わからないけれど、何でもいい、翔太のような子供の運命(※特定疾患で原因も分からずに死んでいった7歳の男の子)を裏切る、わたしらしい何か。