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トーマス・マン『ベニスに死す』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2020.01.18 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』で、気になり読んでみたくなっていたのがトーマス・マンの『ベニスに死す』でした。ヴィスコンティ監督の映画(未鑑賞)でもよく知られる『ベニスに死す』ですが、『マチネの終わりに』では、「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出る」ことが《ヴェニスに死す》症候群と定義されていました。

個人的にあまり翻訳物が得意でないこともあり、どの訳者のものを手に取ろうかと悩むところから始まりましたが、青空文庫で実吉捷郎訳が読めることもあり、集英社文庫の圓子修平訳を手に入れました。淡々として状況がつかみやすいのが圓子修平訳で、詩的で主人公の感慨によりそっているのが実吉捷郎訳といった印象で、圓子→実吉訳と重ねて読んでいくと、トーマス・マンのやりたかった世界に読者も近づきやすいのかなと感じました。にしても、とにかく一文が長い! かなり苦労してしまいました。

高名な初老の作家アシェンバハは、ある日旅の誘惑に駆られ、ヴェネツィアへと旅立つ。そこで彼が出会ったのは、神のごとき美少年タジオだった。その完璧な美しさに魅了された作家は、疫病が広がり始めた水の都の中、夜となく昼となく少年のあとをつけるようになる……。

集英社文庫・背表紙より

老いた芸術家が我を忘れ、死さえも厭わない美への憧れ。主人公の美少年への恋慕のようなもの(読者によって、好悪様々に受け取り方がありそうですが)が、成就させる類のものでないことによって、破滅的な結末も芸術家のある種の昇華であり、救いとして描かれているのかなと思いました。映画の評価も高いようで、ヴィスコンティ監督ならではの「美」という芸術の解釈となっていそうなので、観てみたくなっています。