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朝井リョウ『正欲』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.04.03 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

朝井リョウさんの最新刊は、作家生活10周年記念作品[黒版]として書き下ろされた『正欲』です。昨年10月発売の作家生活10周年記念作品『スター』[白版]に対する[黒版]は、「読み心地に合わせて」の呼び名だそうで、朝井リョウさんの人や世の中のグレーゾーンをえぐり出すような書き心地が大好物の私としては、待ってましたと手に取りました。

全ての人間の中にある自身を疼かせる欲望を、また、人々がそれぞれに抱える「思考の根、哲学の根、人間関係の根、世界の見つめ方の根」を問いただされるような作品でした。

性欲ではなく正欲……。いわゆる万人から肯定される「性欲」とは違った、○○フェチ的な「性欲」を持っているために、「はじめから何も与えられず、何を手に入れられるかや何を失うかで思い悩まなくてもいい状態に、すっかり慣れてしまった」マイノリティの彼らの物語です。「自分はまとも側にいると信じている」マジョリティ側から排除され続ける彼らが、自分自身や現状を受け入れて、「生きていくこと自体には絶望せずに」とやっと踏み出そうとした矢先に降りかかる残酷な現実には読者としても心の行き場を失いました……。

繋がりの中でしか生きていけない人間に、希望を見、救いを与えながらも、間違いなく存在し続ける簡単ではない現実を突きつけてくるのはまさに朝井リョウさんならでは! でした。結果的に物語のキーマン(ある意味一番の「善人面をした悪魔」)とも言える【古波瀬】が語り手として全く登場しないのにも、さらにおどろおどろしさを感じました。

また、冒頭部分に置かれたネットニュース記事を読んだ時の印象が、本作の読後には全く別ものとなり、そこに仕掛けられていた多数派の容赦ない断罪の視線を受け止めている自分に思い至ったとき、私が初めに抱いていた印象こそが多数派の感覚だったのだなと、朝井さんに足下から揺り動かされたような感覚となりました。