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島本理生『夏の裁断』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.08.21 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

芥川賞候補作にもなった「夏の裁断」に、書き下ろしの「秋の通り雨」「冬の沈黙」「春の結論」を加えた文庫オリジナルの連作小説集です。

「夏の裁断」単体で読むのとは、テーマは全く違ったものになり、主人公の千紘が、「四季それぞれに現れる男たちとの交流を通し、抱えた苦悩から解放され、変化していく」物語となっていました。

1作目の「夏の裁断」は、小説家の千紘が、編集者の柴田に翻弄される現実の中で、祖父の残した鎌倉の古民家で、蔵書を裁断し「自炊」をする行為を通して、「卸し金で身を削るような献身」をやめて、自らの現実すら「自炊」し再生していく様子が描かれていきます。

「自炊」とは、本を切ってスキャンしデータ化して捨ててしまうことをいうのだそうです。祖父の遺品処理という名目でありながらも、本を裁断することは、小説家にとっては最も嫌悪すべき行為です。千紘にとってはまさに自身の身を切るような行為であり、それが、過去のトラウマを清算する千紘の身を切る思いに重ねられていくのが象徴的でした。

4作を通してみると、千紘に「自炊」を依頼したのが、過去に娘のトラウマを作る原因となった無自覚な母であった点も、彼女の過去の清算という意味においては、必然性があったのだと興味深く感じました。また、亡祖父が遺していた千紘への誕生日プレゼントが、「自炊」とは真逆の、千紘の小説に上等な革表紙をつけて特装版にしたものだった点は、最終的に彼女の手に入れた生き方が、全てを裁断する(切り捨ててしまった)だけではなく、「自分にとって本当に心地よいものだけ」を、自分の意思で選びとっていった姿に重なっていきました。

それにしても、主人公を取り巻く男性たちのバラエティには驚きましたが、悪魔的な柴田とは真逆のところにいる「教授」や「清野」の存在と包容力は、彼女だけでなく読者にとってもオアシス的存在でした。彼らの存在によって、暗闇を進むような物語の中でも、どこかにあるだろう希望を失わずに読み進められたような気がしました。