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日本語教育機関が「教育機関」へ転換するとは?

今回は、日本語教育機関が、「教育機関」に転換するとはどういうことかを考えてみたいと思います。

日本語教育業界は、今、大きな転換期を迎えています。4月1日にいよいよ「日本語教育機関認定法」が施行されます。この法律の施行に伴い、これまで、法務省から認可を受けていた「日本語教育機関」が文科省の認可を受けるようになります。5年間という移行期間はありますが、「日本語教育機関」は、文科省から出されている指針に従って「教育課程」を編成し直し、新たに認可を受けることが求められます。

法務省の管轄にあったときは、どちらかというと「管理」の側面が強く、「教育」という意識が希薄だったように思います。しかし、これからはいよいよ「教育機関」として生まれ変わらなければなりません。日本語教育機関には、大きなパラダイムシフトが求められます。

この変化に日本語教育機関は対応できるのか。今日はその点について考えてみたいと思います。


学校教育の変化

文科省の認可を受けるということは、今の学校教育についても考慮していく必要があります。初等教育、中等教育では、2020年度から順次「学習指導要領」が改訂され、教育の方向性が大きく変わり始めています。

新しい学習指導要領

教師の働き方や不登校の問題など、さまざまな課題も報じられていますが、地域の小中学校を見ると、徐々に変わり始めているのを感じます。新宿区の公立小学校で、通知表を廃止したということも話題になりました。

以前、地域の小学校の研究授業を見学したときに感じたことを、以下の記事に書いています。

一斉に前を向いて、授業を受けるというスタイルはずいぶん減ってきています。転換期ですから、まだまだこれまでの教育から抜けきれない部分も多々あると思いますし、変化には時間がかかるように感じます。しかし、学校教育は確実に変わっていると感じます。

このような初等、中等教育の変化の先に、日本語教育機関に在籍する留学生の多くが目指す「高等教育機関」があります。大学等の「高等教育機関」もまた、変化が求められています。

例えば、中央教育審議会から2018年に出された以下の資料には、これからの高等教育機関に期待されることが書かれています。

2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)中央教育審議会

「高等教育機関」と一言に括れないほど、大学や専門学校に求められる役割というのは多種多様だと思いますが、この答申では、2040年という将来を見据え、そこから逆算して必要だと期待されることが提案されています。

今後、18歳人口が減少していくことを踏まえ、留学生の受け入れ推進やリカレント教育にも言及されています。また、大学の国際化や国境を越えた大学の役割についても触れられています。

そしてここでも「主体的な学び」や「多様な価値観を持つ人材が協働して社会と世界に貢献していく」ことの重要性が指摘されています。

日本語教育機関に求められる役割

「日本語教育機関」が文科省の認定機関となるということは、これらの学校教育の接続を果たす機関となるわけです。「留学分野」の教育課程を編成しようとする日本語教育機関には、このような自覚が必要なのではないかと思います。

新しく教育課程を編成するときの指針となる「日本語教育課程編成のための指針(案)」(以下「指針」)には、「日本語教育の参照枠」に基づいた教育課程を編成するようにと書かれています。

学習内容では、以下の3点を盛り込むことが求められています。

  1. 「日本語教育の参照枠」の言語観に基づいた言語活動

  2. 学習を自ら管理する能力の育成

  3. 社会・文化的情報、交流・体験活動、総合学習などの学習内容

言語知識の定着にとどまらない言語の運用能力を重視すること、自ら学ぶ能力、地域社会との関わりや社会参加などが求められます。

新しい学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」とか、「社会に開かれた教育課程」などが謳われていますが、学校教育が目指している方向性と重なる部分も多いように感じます。

特に、日本語教育はコミュニケーションを扱う教育であることを考えると、多様な価値観をもつ人同士が交流するために、また、社会参加のために、どのようなコミュニケーション能力が必要かということも、教育課程の編成時には考慮する必要があると考えています。

今後必要とされるコミュニケーション能力とは?

日本語教育機関と学校教育の大きな違いは、日本語教育機関が成人を対象に教育を行っているという点です。特に「留学」の分野では、高校までの中等教育を受けてきた人が対象となります。ということは、それぞれの国や地域である程度、社会生活を営んできた人が対象となるわけです。

様々な地域から多様な文化的背景を持った人が集まってくる学習環境も大きな特徴です。すでに何らかの学習経験を持ち、自らの言葉や意思を持つ多様な人で構成されているのが「日本語教育機関」です。コミュニケーションを学ぶには、最高の環境です。

ここでいう「コミュニケーションを学ぶ」とはどのようなものでしょうか。

「日本語教育の参照枠」を見ると、『言語を使って「できること」に注目する』という言語教育観が示され、「課題を遂行すること」が目標となっています。課題を遂行できたかどうかを判断するための「言語能力記述文(Can-do)」を中心に教育課程が編成されていくことになりそうです。

例えば、5つの言語活動のうち「話すこと」は、「発表」と「やりとり」の2つに分かれています。このうち、コミュニケーションといって、イメージしやすいのが「やりとり」ではないかと思います。「日本語教育の参照枠(報告)」の p.20では、この「やりとり」の熟達度が図式化されています。ここに例示された「Can-do」を見ると、やりとりに何か典型的なパターンがあり、それらが使いこなせれば、課題が遂行できたとみなされるかのような印象を受けます。

しかし、今後、「多様な価値観を持つ人と協働して社会参加していく」ことが求められるとしたら、この「やりとり」で示された「Can-do」では何か物足りない気がします。

「仲介」という概念

2024年2月22日(ネコの日!)に行われた「文化審議会国語分科会日本語教育小委員会」では、とても興味深い資料が公開されています。

「日本語教育の参照枠」の見直しのために検討すべき課題について(資料2)

これは、2020年の「ヨーロッパ言語共通参照枠 補遺版」(以下、CEFR-CV2020)をもとに、「日本語教育の参照枠」の見直しを検討している資料です。この資料では「仲介」という概念が紹介され、「日本語教育の参照枠」に、「仲介及び複言語・複文化能力の概念」を追加すべきであると提案されています。

「CEFR-CV2020」は、まだ日本語訳がされていませんし、私も十分に理解できているわけではありません。上記の資料によると、「仲介」とは、各言語活動を結び付けるものであったり、「概念(コンセプト)」を調整し、新たな意味や関係性を構築する言語活動だとされています。

さらに、「コミュニケーションの仲介」として、「異なる社会・文化的背景を持つ者同士のコミュニケーションを取り持ち、円滑化を促す言語活動」であるとしています。

これからの社会で、「多様な価値観を持つ人と協働して社会参加していく」ことが求められるのであれば、まさに、この「仲介」という概念が非常に重要であると感じます。

少し前の記事になりますが、「仲介」については、下記の記事でも触れました。当時、まだ、日本語訳が定まっていなかったので、「仲介」ではなく「媒介(mediation)」という表現を使っています。

日本語教育機関の可能性

先に述べたように、「日本語教育機関」は、多様な文化的な背景や多様な言語を持つ人同士が学びあう教育機関です。このような学習環境であるからこそ、「仲介」で示されるような言語活動が教室内で行えるという、非常に恵まれた環境にあります。この環境を教育課程に生かさない手はありません。

そして、「仲介」という概念で表されるような「コミュニケーション能力」を留学生が意識するようになれば、それまで、同質的な学習環境で教育を受けてきた日本人学生にも、大きな影響を与えるでしょう。日本語教育機関ならではの特性を活かした教育課程を編成ができれば、「留学」という分野で「日本語教育機関」が果たす役割には、大きな可能性があると思っています。

日本語教育機関は、法務省の告示校という「管理機関」から「教育機関」に生まれ変わらなければなりません。これからの社会の変化に対応するためには、何が必要かを、私たち教師自身が考える必要があると思います。古い価値観を押し付け、矯正することは教育ではありません。

「日本語教育の参照枠」も、社会の変化に合わせて見直しが行われています。将来を見据え、これからの社会の変化に対応できるように、「日本語教育機関は教育機関である」という意識を持って、教育課程の編成にあたっていきたいと思いました。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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ヒラサワエイコ
共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!