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「書く」ことをどのように扱うのか 〜「日本語教育の参照枠」の検討課題から考える

今日は、「書く」ことについて考えてみたいと思います。

前々回の記事では、今後必要とされるコミュニケーションについて少し触れました。そこでは、日本語教育機関の可能性として、「仲介(mediation)」という概念に注目するべきだということを書いています。

この「仲介」という概念は、「文化審議会国語分科会日本語教育小委員会」(2024年2月22日)で提供された資料2の中で説明されています。

『「日本語教育の参照枠」の見直しのために検討すべき課題について ーヨーロッパ言語共通参照枠 補遺版を踏まえてー』
(以下「資料2」)

日本語教育の参照枠」(p.71)では、今後に向けた検討課題が挙げられていますが、その検討課題のアンサー版が「資料2」と言えるのではないかと思います。「資料2」は、2020年に出された「ヨーロッパ言語共通参照枠 補遺版」(以下、CEFR-CV2020)が元になっています。「CEFR-CV2020」は、まだ日本語訳が出ていませんから、この資料は「CEFR-CV2020」を理解するのにとてもありがたい資料でした。

「日本語教育の参照枠」は、20年以上前に編成されたCEFRがもとになっています。当時に比べ、今は、コミュニケーションの形態が変わってきています。当然、見直しも必要となってくるでしょう。そこで、今回は、「資料2」をもとに、その中でも特に変化の大きい「書く」という行為について考えてみたいと思います。


「書く」という行為の変化

ICTの進化に伴い、「書く」という行為にさまざまな方法が使われるようになってきました。コンピュータが普及する前は、筆記具を使って紙に文字情報を記録することが「書く」という行為だったと思います。

紙に「書く」場合も、筆記具の違いによって、パフォーマンスが変わってきます。例えば、鉛筆を使って書くのと、ボールペンを使って書くのは、同じ「書く」でも意識に違いが生まれるのではないかと思います。鉛筆であれば、後から消せることが前提となりますし、ボールペンであれば、消すことができません。

筆記具を「筆」に変えると、さらに意味合いは変わります。「記録」より「表現」の意味合いが強くなると思います。

「文字情報の記録」を、デジタルデータと捉えると「書く」という行為はさらに変わってきます。

この場合、「書く」というより「タイプする/入力する」という表現が適切ではないかと思います。同じ「タイプする」でも、コンピューターが普及する前のワープロは、紙に出力することが前提でしたから、記録媒体は紙になります。

しかし、今は、紙という記録媒体をそもそも前提としない「記録」が増えてきました。そして、入力も、PCのキーボードを使うのか、スマホのフリック入力なのか、音声入力なのかで、随分と感覚が変わってくるのではないかと思います。

コミュニケーションの方法も変わってきました。メールよりも、LINEやメッセンジャーなど、メッセージアプリを使ったやりとりが増えています。そうなると、メールよりも、チャットのような短い文章のやりとりの方が重要になります。

「日本語教育の参照枠」(p.70)でも、話し言葉の要素を多く含む新しい書き言葉を「打ち言葉」と呼び、新しいコミュニケーションの形が生まれていることが指摘されています。「話す」に、「発表」と「やりとり」のカテゴリーがあるように、「書く」に「やりとり」のカテゴリーが必要ではないかとも思います。

さらにいうと、「漢字」の扱いも変わってきます。これも「日本語教育の参照枠」で触れられていますが、「入力」を前提とすると、「漢字」の学習方法もこれまでと違ったものが必要になると思います。

オンラインでのやり取り

先の「資料2」では、新たに追加すべき点として「オンラインでのやり取り」を取り上げています。日本語教育でもオンラインを活用した教育実践が普及していることや、翻訳ツール等の活用、さらには、生成AIの活用も検討すべきであると指摘されています。

「オンラインのやり取り」には、新たに言語能力記述文(Can-do)も追加されています。例えば、「オンラインでの会話と議論」(「資料2」p.62)のCan-doを見ると、「書く」だけではなく、「口頭でのやり取り」「書かれた言葉でのやり取り」も合わせて「オンラインのやり取り」とされていることがわかります。

「オンラインでの会話と議論」と言っても、オンラインで投稿すること、他者の投稿にコメントすること、埋め込まれたリンクやメディアの扱い、スレッドでのやり取り、リアルタイムでのオンラインのやり取りなど、かなり広範なスキルが挙げられています。

これらの「オンラインでのやり取り」に、翻訳ツールや生成AIの活用を組み合わせると、一言で「できる」と言っても、言語能力なのか、ITリテラシーなのか、判断が難しいという印象を受けました。

「資料2」では、具体的な日本語教育での事例として、厚労省が開発した、以下のツールが紹介されています。

このツールには「CEFR-CV2020」が反映されており、「日本語教育の参照枠」が示している5つの言語活動(「聞くこと」「書くこと」「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表・報告)」「書くこと」)に、「オンライン」と「仲介(橋渡し)」という言語活動が加えられ、A1からC2レベルまでの参照表が提示されています。こちらの方が、具体的な場面がイメージできて、扱いやすい印象です。

このツールには、「使い方の手引き」も公開されています。

就労場面で必要な日本語能力の目標設定ツールー円滑なコミュニケーションのためにー使い方の手引き(以下「目標設定ツール使い方の手引き」)

「目標設定ツール使い方の手引き」では、「書くこと」を以下のように定義しています。

就労場面における「書くこと」とは、身近な事柄から簡単なメモ、簡単な報告書、形が決まっている文書やメール文作成、意見を含む報告書、そしてビジネスメール等のように、一人かそれ以上の読み手に向けて、読者が受け取る文字情報を生み出すことです。

「目標設定ツール使い方の手引き」(p.27)

読者が受け取る文字情報を生み出すこと」と定義されており、「書く」ためのツールは特に限定されていません。

ビジネスの場面では、すでに、ビジネスチャットやオンライン会議が当たり前になっています。そこで、いち早くこれらの言語活動が意識され、開発が進められたのだと思います。

このツールは、日本語教育の現場で使用するというよりも、外国人従業員を雇用している就労現場での使用が前提となっています。外国人従業員に対し、どんな日本語を必要としているかを明確にし、それぞれの現場にあった目標を設定することによって、人材育成や人事評価を行うことが意図されているようです。

日本語教育の現場でどう対応するのか

以上、ざっと資料を見てみると、「書く」という行為にも、様々なバリエーションが指摘されており、その扱いについても今後検討が進められていくと思われます。ただ、現時点では、明確な指針は示されておらず、「書く」行為をどのように扱うかは各現場に委ねられていると言えます。

特に「資料2」で示された内容は、あくまでも「見直しのために検討すべき課題」であって、「日本語教育の参照枠」に追加されるのは、まだ先のことになります。

しかし、ここ1年を振り返ってみても、生成AIの登場により、びっくりするくらいコミュニケーションの環境が進化しています。「日本語教育の参照枠」が改訂される頃には、全く違う形態で「オンラインのやり取り」が行われているかもしれません。

CEFRが出されてから20年経って、ようやくCEFR-CV2020がまとめられたわけで、そこから早くも4年が経っています。行政文書の宿命とも言えるかもしれませんが、文書をまとめるのには、知見の検証と合意などが必要であり、膨大な時間がかかります。私たち現場の人間が、このような行政文書の後追いでプログラムを考えていたのでは、全く時代遅れのプログラムになってしまいます。

言語は学習の対象ではなく、コミュニケーションの手段であり、学習者は「新たに学んだ言語を用いて社会に参加する」社会的存在だと考えるのであれば、現実のコミュニケーションに合わせ、学び方も先取りしていく必要があります。今後、どのように変化していくのかは、誰も答えを持っていません。そのような状況では、「とりあえず使ってみる」という方略も必要ではないかと思います。使ってみないことには、使えるようにはなりません。

日本語教育の現場では、未だに授業中のスマホ使用を禁止したり、漢字を手書きで何度も書くなどの練習が行われていますが、そもそも現実社会でどのように言語が使われているのか、その現実社会で「使える」ようにするには、どのようなアプローチが必要なのか、よく検討することが必要ではないかと思います。

日本語教育機関認定法の施行に合わせ、今、日本語教育機関では、大幅な教育課程の見直しが行われていると思いますが、すでに見直しの検討が進められている「日本語教育の参照枠」のCan-doを並べるだけでは、コミュニケーションの実態とは程遠い教育課程になりかねません。

教育課程編成の際には、未来を見据え、どんな教育が必要なのかをしっかり見定めていくことが必要だと思っています。なんなら、日本語教育の現場から、外国人を雇用する企業や日本語支援を必要とする子どもたちのいる学校教育現場へ提案をしていくくらいのことはできるようになりたいと思っています。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!