まる えん

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もう4年も前の君に

事務所の昭和44年生まれの掛け時計がカチコチ刻む時。 月頭に僕がゼンマイを巻かないと止まってしまうくせに、偉そうに勝手に進むなよな。 なんて時間に文句を言っても仕方がないよね。この時計の黒光りする重厚な枠組みは、僕ら人類が長い歴史を経て獲得した輝かしい功績なんだから。 全く。重苦しい楔だ。 なんだか何事もそうした二面性をもって、何故かなど知る術もなく、現在に繋がっているようだ。きっとそれは仕方のないこと。さて何を選ぼう。 でも、今朝の僕の意識はあっちこっち飛ぶ。2500年前

    • この間 (2023年12月の記録)

      午後3時を過ぎてから気温は下降に転じ、風も出てきた。空がずんずんと暗くなってゆく中、サンダルをつっかけ戸締りに出る。恐ろしいことに12月もあっという間に折り返しだ。 トイレの鍵を閉めて、鬼子母神堂へ。と、ふと視界の片隅にらしからぬ色が飛び込んだ。 お堂の前の水瓶の中、茶色の落ち葉たちが水を濁らせている。寒空を映したその水面にポツンと一輪、濃いピンクの椿の花が浮かんでいた。 自然のなりゆきでそこに落ちるような距離に椿の木はない。 もしかして、昨日の子どもかな? お母さんと、

      • 2023年12月3日の深い夜

        抵抗の食事 抵抗の咀嚼 抵抗の呼吸 だるい 今日もこめかみに世界をぶら下げて ぶつぶつゆってる うざい 虚空を眺めて 汚れた空白になりさがる きつい 瓦礫の山で遊ぶ子どもたちの笑顔は眩しい それでもこちら側で生活は続く 自分が自分としてままならない最近。 覗き込めば覗き込むほど、空洞化していく感じ。 そこにあるのは見えているのに歩いても歩いても辿りつかないし、そのうち疲れて投げ出してしまいそう。 僕、水のような存在? 深みの藍も掬い上げれば透明

        • 僕の自然

          僕が去年一年で撮った自然の写真 春 ・雪柳と大切な友達の照れ臭そうな笑顔 ・一面の菜の花畑と午後4時の滲む斜光 ・庭で切り取ってきた山吹のばらの散りゆく花弁 ・川沿いの道をてくてく横切るどこか尊大なカルガモ 夏 ・水面に乱反射する太陽に寡黙な釣り人 ・河原でギターを弾く「ふり」をする楽しげなカップル ・台風が去った直後の曇天と一服する友達 ・瀬戸内の光あふれる海と釣り上げられた魚 秋 ・山すべて秋色に染める広大な橅の深い森 ・昼下がりの陽が優しく差し込む上りの窓ですれ違

        もう4年も前の君に

          信じること

          たとえ今苦しみの中にいても ひとり、闘いに挫けそうになっていても いつか、どこかで いつなのか、どこでなのかも分かりはしないけど きっと かならず 笑顔でいられる 優しく僕らを包む陽射しの中で ゆっくり安らかに眠ることができる そう信じている それを信じる それだけ そうして次の一瞬に踏み出す

          信じること

          「雑」という言葉がなんとなく好き。 中学生の時かな、年末に「一年を振り返って漢字一字で表しましょう」というような課題が出された。真っ先に思いついたのが「雑」だった。一度思うと他のことが考えられなくなるのが僕の常で、センスのよい親友に「つまんな」と一蹴されたにも関わらず、それで提出してしまった。 まあ、考えてみれば確かにつまらんアイデアなんだけど。 「雑」ってあまりポジティブな意味では用いられないことが多い気がする。 誰もが好きなのは雑煮くらい? でも「雑」という言葉は、ど

          noteを始めてみることにする

          ありがたいことだ。ページを開くといちいち色んなことを教えてくれる。「おめでとうございます!バッジを獲得しました!」 noteに登録して早くも一年が経ったらしい。 大学3年にして早くも卒業できるかひやひやしながら、「いやでもなにか、クリエイティブなことをしたい。私にはできるはずだ」と思いながら始めたnote。最初の頃、毎週noteを更新している就活ガチ勢の友達から「君は本も読むし、絶対面白いこと書けるよ」と言われ、なんだか少しだけムッとして、ちょっとだけ「見てろよ」と思った

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