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ガイアシンフォニー第五番

見逃していた「ガイアシンフォニー第五番」を観てきました。20年前の作品。昨年から順次見ていたガイアシンフォニーの世界観、数ヶ月の間を空けてしまうことで、こんなに沁み入るのか・・・!という時間でした。

見えない仕事が本当にいいものの力になる

こういう見えない仕事が本当にいいものっていうか。そういう布の力になってくれているという。それがきっちりできていればもう布は自然に本当にいい布に上がるっていう。まあ確信みたいなものが最近はありますね。ですからその見えないプロセスを大切にしたい。

石垣昭子さん(ガイアシンフォニー第五番)

90%の見えない仕事をきっちりできていたら、目にみえる部分は自ずといいものになる・・・勇気の出る言葉を 石垣昭子さんは映画の中でつむいでくださいました。

なんだか、日々の生活全般に言えることだなぁと。英語学習にも(笑)

苦労しないで〇〇達成、たった1週間で〇〇できる、手間ひまかけずに〇〇が手に入る、楽チンで簡単!サイコー!などなど、時短の機器やサービスで溢れかえっている今。 じゃあ昔より時間増えて楽々なんじゃ?と思いきや、いっこうに時間は増えず いくらでも忙しい、なぜ?・・・

対照的に、
手間をかける じっくり育てる 面倒くさくても丁寧にする、愛情込めて作業するほうが、実は早かったり、ゆったりとした豊かさが大きかったりする。そしてそれこそが、自然な在り方なんだと 今のわたしは気づきます。

種が発芽し、花を咲かせ、実りを結ぶ自然の営み。
味噌や醤油、酒を生み出す発酵文化。
自然は時間を味方にし 確実にことを成す。

胸がいっぱいになる龍村監督の奥様の出産シーンもありましたが、十月十日という時間をかけて目に見えない世界で成長していく命を、この世に送り出す過程ー妊娠&出産ーが、時短&簡単&手軽になったら(なってるっていう見方もあるとかないとか)、コワイどころの話じゃないですよね・・・。

だからこそ、今の私達は、全体を繋いでいる見えない力の存在を、もっと深く理解し受け入れなければなりません。
そうすることによって、自分自身や他者や自然に対する関係が変わってゆくのです。

アーヴィン・ラズロー(ガイアシンフォニー第五番)


見えないものに価値を置く

見えないもの・・・匂い(猛々しく香る抗菌洗剤や柔軟剤は、くしゃみや鼻水や頭痛として、見えなくともわたしの体の不調に表れてますけどね)や、電気、音、思っていること、考えていること、感じていること、信じていること、意図、意志、波動、気なども、目に見えないもの。
最近の音の研究はますます進み、超音波や周波を使って さまざまな実験がされていると聞きます。

我々は、地球の大きな生命システムの一部として生かされており、他の全ての存在と綿密に繋がっていて、どんな小さな営みも必ず他の全ての存在に大きな影響を与えるのだ、という価値観をもう一度取り戻すのです。

アーヴィン・ラズロー(ガイアシンフォニー第五番)

見えないけれどつないでいる。見えない力が結び合う。全ての存在が互いに影響を与え合っている。見えないもののパワフルさを、わたしたちは直感的に感じているのではないかと思うのです。

だからこそ、どんな言葉を音にするか、どんな意図を持つか、どんな気持ちで接するか、どんなふうに存在するか、その選択肢があることに意識的でいたい。人ひとりの価値は、甚大です。

自然界には、なにひとつ偶然はない。
全ては互いに繋がって起こっており、純粋に偶然に起こることなど、なにもないのです。全ての命が共に働き、共に変化し、共に進化し、互いに同調しながら響き合っている。

アーヴィン・ラズロー(ガイアシンフォニー第五番)


幸せは減らない

ガイアシンフォニー第五番から伝わるのは、苦しみも不幸せも 痛みも辛さも 必要なプロセスのひとつに過ぎないというメッセージでした。

幸せはへらない、と言ったのは、みんな幸せになる権利をたっぷり持っている。だけど、人が生きていて、人に限らず、生きものだって、樹木だって、生きている時にものすごい嵐が吹いたり色んなことがあります。その中には、ぼくら自身が不幸と感じることも、幸せと同じように、まるで粗縄の糾いのようにやってくるし、悲しみということを知らないと、悲しみの心情になる人のことを想像することができない。自分の中でそれをコントロールする力、抑制するというか、それも又、人間という生きものが獲得した野性の力だと思うんですよね。

名嘉睦稔(ガイアシンフォニー第五番)

痛みや悲しみは味わいたくないから避けるし、味わってほしくないから避けるようにアドバイスする、という気持ちもわかります。安全に平穏な人生が送れたらいいのに、と多くの人が祈っていると思います。
でも、痛みや苦しみは個人的なものなんですよね。人生で経験することもそれぞれ違う。痛みと捉えるかどうかも、酷さも軽さも感じ方も その人それぞれ個人で違う。自分と全く同じ痛みでも悲しみでもない、という前提であったら、その対処の仕方は、その人それぞれで獲得していかなければならないのでは?とも思うわけです。
この痛みの経験がないと、その後に必然的にやってくる何かに対応できる準備が整わないとしたら?・・・その人個人が経験しないことには、解決できないことが将来待ち構えているとしたら?・・・どうでしょう?
この先必要になる力を獲得するためのジャストフィットなプロセスだ、とも捉えられるなあとも 思えたわけです。

痛いのは大切なのよね。

大野明子(ガイアシンフォニー第五番)


久しぶりに観て、またひとり思索にふけてしまいました…お付き合いありがとうございます笑

目に見えないことを 心を込めて 丁寧にやっていけば 
目に見えないことが 目に見えない応援を呼び 響きあって 重なり合って 必然的に「本当にいいもの」を創り出してくれる。

それはとても自然で とても理に適っていて 気持ちの良い誠実さが通っていて、なんだかホッとしたんです。ますます、意識的に、起こっていることに真っ直ぐ、経験しようと思えました。
希望に向かって 理想に向かって 心を込めて 丁寧に。