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むかし話 続き

そうそう、結局バイリンガルの子役には会えずじまいだったのですが、これが思わぬところでつながってくるので面白いんですよ。その話は別の機会に。

さて、凸凹ありながらも中学高校と積極的に過ごし、英会話学校にも塾にも予備校にもまったく通わず、さりとて成績も悪くなく、わたしは挫折を抱えた大学生になりました。

実は、東京の有名私立大学(KとW)への指定校推薦をその場でバッサリとお断りし、自分の意思を通した結果、その年の入試制度の気まぐれな変更も手伝ってか、志望大学の合格通知は手にすることができなかったんです。

この大きな挫折が、留学への熱い熱い決意となります。
深〜い落胆や底なしの劣等感を経験することで、心や意識、目に見えないものに対する興味がはじけ始めました。雷に打たれたような、心震える貴重な講義を受けられたのも、この挫折のおかげです。

留学しよう!と一年生で決めたわたしは、TOEFLや英会話の勉強に精を出しました。別で通っていた英会話学校のカナダ人の先生ととても気が合ったので、留学先はカナダにしました。日本人が少ないところで絶対に英語をマスターする、という決意がなにしろ固いので、あえて姉妹大学への編入はせず、独自で大学を見つけ、時間をかけて手続きを進めました。

寮にしたのも、カナダ人と一緒に生活したかったからでした。メゾネット型の大きな寮の部屋で、カナダ人5人と香港人1人とわたしの計7人、それぞれが個室に住み、リビングルーム、お風呂とシャワー、キッチンをシェアして暮らしました。

ルームメイトたちとは、とにかくcrazyなことばかりして大笑いしていました。思い出はどれもこれも微笑んでしまう幸せな寮生活でした。今でもFacebookでやり取りしています。

ルームメイトたちと

大学での勉強は、想像より何万倍もキツかったー! 
シェイクスピアの戯曲を読んでディスカッションするような英語のクラスを履修するなんて、しかも外国人はわたし一人だけなんて。そんな無謀なことができたのは、絶対英語をマスターしてやるうぅ!という意気込みが満タン過ぎるわたしだったからだと思います。(ウラ目標は、恋バナができるくらい細かい表現が使えるレベルになる、でした)

水曜日以外は毎日同じクラスがあるので、日々の予習は10ページ以上を読み込み、自分の解釈をクラスメイトと語れるように準備しました。

心理学の宿題も試験のエッセイも、何度も何度もfail、落ちました。教授からすると、起承転結なんて異次元の構成でしかないですから、当たり前です。

金曜の夜以外はずっと図書館の主になって勉強していました。とにかく一生分の勉強をしたのではないかと思うくらいの勉強量をこなしました。そんな留学時代でした。


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