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この業界の片隅で

アカデミズムの世界のビジネス寄りは、ビジネス界の圧倒的アカデミズム寄りだ。
そんなことを最近つくづく感じる

去年まで超厭世的なド文系大学生をしていて、今年広告代理店で社会人1年目をしている。

大学時代の恩師には院進を期待されていたけれど、大学院の諸先輩方ほど勉強が好きじゃないのは明らかで、自分は全く持ってアカデミズムの人間ではなく、明らかに市場よりの世俗的な人間なんだと思って、学部卒で社会に出た。
希望していたマスコミ系で働けることになって、自分は浪人も留年も院進もせず、文系ストレート22歳で社会に出て正解だったと思っていた。

だけど、仕事を始めてから、この人たちとは根本的に根っこが違うんだな、と感じることが多々ある。

どっかの広告代理店が「粒揃いより粒違い」なんて言うように、広告代理店って普通じゃない変な人が寄せ集まった場所なんだけど、それでも何となく根っこの似ている人が多いと思っていて…
それは、商売熱心さなのか、狡猾さなのか、道化なれる能力なのか、空気を読む能力なのか、ミーハー力なのか、ワーカホリック力なのか…
一言では言い表せないんだけど、なんだかんだ近しい根っこを感じる。
会社に染められていくのか、そういうタイプを採用しているのかはわからないけれど。
みんな社会や資本と密接に結びついていて、それが体に馴染んだ人ばかりだと感じる。

だけど、自分はずっと何かが違う気がしている。

大量生産・大量消費が嫌いで、お金にならない優しいものや綺麗なものが好きな私。
流行り物よりも、時の摩耗に耐えてきた古典的なものを愛でる私。

それが個性と言うより、弱点と捉えられ続けている気がして、何となく居心地の悪い日々を送っている。  
(それを忘れるためにワーカホリックに自分を消耗している)

https://note.com/e_becky091222/n/n0ed42ce88651

偏ったものの見方かもしれないけれど、周りを見渡しても民間企業出身の親を持つ人が多くて、
学生運動に青春を捧げた元高校教師の父、専業主婦の母という少々浮世離れした家庭で育った自分は、根っこの部分で彼らには馴染めないんじゃないかと、そんなことを時々考えてしまう。

今日、上司に、同期2人と合わせて期末の打ち上げの下見を兼ねた1年間お疲れ様会をしていただいた。
局長にこの会社でこの先「何がしたいの?」と言われて答えに窮した。
分からない…何がしたいんだろう。

何度かそんなやりとりをするうちに、お酒の勢いもあって、
「せっかくこういう業界に入ったのでイベントとかコンペとか華やかなことがしたいと思う一方で、私あんまり市場寄りの人間じゃないみたいで、お金にならないけど優しいこととか綺麗なことをやりたいんですよね…。売上に繋がらなくて申し訳ないんですが…。
大学にいた頃は自分は研究室の中で圧倒的に世俗的だと感じていたけれど、この会社に入ってみると経済学部とか商学部の人が多い中で圧倒的にアカデミズム寄りの人間なんだと感じていて…売上に繋がらなくても普遍的で綺麗なことを世の中に発信したいんだと思うんです。展覧会の裏方みたいな文化の継承的な業務って代理店として担える部分はないんですかね?」
的なことをひと思いに言った。

私、イケおじの上司のことめちゃくちゃ好きなんだけど、
「言ってることは分かるけどね。自分が立ち上げから関わった商品が店頭に並んでお客さんに買ってもらえた時のやりがいって凄いんだよ!!」
と言われて、また、この人とは根っこの部分が違うんだ…と思ってしまった。
滅多にないけど、やりたいって思い続けたら引き寄せられるよ!とか、自分でそういうアカウントを新規獲得しよう!とか、言ってほしかったんだと思う。

私はビジネス的に甘いのだろう。
この業界に向いていないのかもしれない。
でも、「何がしたいの?」にビジネス的な正解を求められるのってどうかと思う。

私のおかしさは個性じゃなくて弱みなのか?
これからもずっと無邪気に否定され続けるのか?

会社の人とお酒を飲むと仕事中は押さえ込んでいる素の自分が顔を出して、その度に辛くなる。
厭世的で、空気が読めなくて、流行に懐疑的で、怠け者で、常識外れで、夢想家で、ちっぽけな私が。

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