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会社の同期が好きだけど苦手だ

自分のつまらなさを開き直って、愛してあげられる日はいつになったらくるのだろうか。

30を過ぎたら、40を過ぎたら、50を過ぎたら…

どこまでも面白くない自分なりに開き直って図太く生きていけるようになるのだろうか?

今日、ほぼ1年ぶりに同期で集まって飲んだ。

辛かった。二言三言しか話せなかった。
自分なんてこの場にいてもいなくても一緒なんじゃないかと、そう思った。

1年前の春、新入社員研修の時もずっとそう思っていた。
昼間のワーク中は比較的会話も弾んだ。
たぶん同期の中ではちょっとだけ頭の切れるタイプだと認識されていた気がする。

でも、夜になると途端にダメだ。
根本的に会話のペースについていけない。
彼らが連想ゲームのように繰り出すネタのテンポにも内容にもついていけない。
作り笑いをして、なんとなくその場に座っていて、どんどん疎外感を感じて、私なんかいなくてもいいんじゃないって思いながらビールを飲んで、作り笑いをして、死にたくなる。

あの頃、それは通過儀礼のようなものなんだと思っていた。
大学時代、わりと大きくメンタルを崩した。
床に座り込んで立てなくて、メイクもできず、着替えもできず、ずっとぼんやり過ごす時間がくる日もくる日も続いた。
そういう外的刺激を遮断した状態でしか味わえないような本をあえて選んで読むことでそんな状態に陥った自分の自己肯定感を保ったりしていた。

そんなどこまでも厭世的な大学生活から社会へと復帰するファーストステップが就活で、セカンドステップが新入社員研修だった。

ファーストステップは対大人だったので、どんな風に自分を売り込むと相手が喜ぶのか、なんとなく経験則で知っていた。

だけど、セカンドステップは対同世代だった。ここに来て、自分がいかに同世代間コミュニケーションが苦手であるかを知った。自分がいかに同世代の中で変わっていて、さらにその変さが誰にとっても興味の対象にならないことを身をもって知った。殊にこの広告代理店というビジネルワールドでは。

樽の中のディオゲネス、広告代理店を知る。

ビジネスの世界で評価されるのはディオゲネスじゃなくてアレキサンダー大王の方だ。
ディオゲネスが樽から出てきても誰も目をくれない。しかも私はディオゲネスほど尊くない。承認欲求もあれば見栄もある。
空気のように扱われるのは非常に辛く、自分の居場所が何度も何度も分からなくなった。
都内のウィークリーマンションに帰宅してベッドに突っ伏して泣いた日が何度もあった。

しかし、研修が終わり、地元大阪本社の営業部に配属されて、ひと回りも上の人たちと仕事をするようになってから一気に心の平穏を取り戻した。

こんな文章を書いていて何の信憑性もないと思うけれど、私はたぶん周りより少しだけ仕事の覚えがいいのだと思う。
社内の身近な先輩に正面切って言われることは少ないけれど、人伝に〇〇さんが褒めてるよ!と教えてもらったことが一度や二度ではないのでお世辞とも言い切れないのではないかと思っている。
入社して半年で1つのブランドの責任者を任してもらえたし、出張もひとりでほいほい行かせてもらっているし、9桁の見積もりも作らせてもらっている。
先輩は厳しいけれど、目をかけてもらってはいるんだなと感じる。
そして得意先にも、取引先にも、1年目だというと驚かれる。

その一つ一つで少しずつ自信をつけてきていた。
ディオゲネスも社会に馴染み、それなりに流行を追い、飲み会に出て無茶振りにも応えながら、代理店のノリに馴染んできたと思っていた。

樽の中から出たばかりのディオゲネスに戸外の光はあまりに眩しすぎた。でも、今だったら、都内のウィークリーマンションで泣いてばかりいたあの頃の自分とはまるで違う人間になっている気がしていた。

現場に配属されて以降、同期と仕事で絡むことはほぼなかった。
久しぶりに同期と飲む高揚感に、珍しく早い8時退社が拍車をかけ、意気揚々と店についたのに…

作り笑いをして、なんとなくその場に座っていて、どんどん疎外感を感じて、私なんかいなくてもいいんじゃないって思いながらビールを飲んで、作り笑いをして、死にたくなっている私は、4月のウィークリーマンションで泣いていた私と何も変わっていなかった。

「同期のアイツとアイツがヤングカンヌの最終選考の7組に残っているらしい」
そんな噂が私の疎外感に更なる拍車をかけた。

同期のことは好きなはずなのに、間違いなく好きなのに、会えば毎回気付かされてしまう。
同期のことがどうしても苦手だ。
会えば会うだけ自分のつまらなさを突きつけられる。
まるで言葉が出ない自分に、合いの手を入れるタイミングすらわからない自分の不甲斐なさにどうしようもなくなる。

以前読んだ本で自己肯定感の低い人ほどワーカホリックなるとあって、まさに自分のことだと思った。

人として面白くない私は、高い能力を発揮する以外に居場所を見つける術がない。
広告屋としてキャラが立っていない私が、唯一掴めそうなキャラが「仕事のできる一年生」だった。それだけなんだ。

先輩に働かされてるんじゃない。誰かに強引に終電まで監禁されているわけじゃない。
これパワハラギリギリでしょ!とかモラハラだ!と騒ぎながらも、本当は薄々わかっていた。
私は自分の意思で激務を選んでいるんだ。
そうすることでしか自己肯定感が高められないから。
この会社で居場所を見つけられないから。

帰りの電車、比較的心を開いている同期男子2人が先に降りて、最後ひとりになった。
降り際に、片方の子に「楽に生きなよ」と肩を叩かられた。
別に何を話した訳でもなかったのに、所在なさが顔から滲み出ていたんだろうと思うと、ごめん…となった。

彼らが降りて、JRの椅子に倒れ込むように座ると自然と涙が一筋溢れて、マスクの中に消えていった。
こんな時だけ、新型コロナ対策でつけていたマスクに心底感謝した。

これも同期のことを書いたやつ。
何回も書いちゃうあたり、絶対同期のことすきなんだけどなぁ…


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