あさのあつこ「鬼を待つ」を読む
#あさのあつこ #鬼を待つ #光文社 #読書 #読書日記 #時代小説 #バディもの
大好きな『弥勒シリーズ』の9作目。
いやぁ〜〜このシリーズずっと追っかけてるんです。最高に面白い。
書店の時代小説コーナーは、大好きなグルメ時代劇から次第にそれ以外へ…書店さんって見せ方も上手いからいろんなものを読みたくなります。
ある日なにげなく買った『弥勒シリーズ』との出会い。
(なにこれなにこれ凄い…)
特に遠野屋と信次郎と伊佐次の3人のキャラクターにメロメロになってしまった自分は、その時出ていた書店の弥勒シリーズを全部買って
抜けがあるものは後で買い足し…文庫化を待たずして単行本にまで手を出す(言い方!)ように。
木暮信次郎という男
主人公である遠野屋清之助も魅力的だが、その遠野屋も、この木暮信次郎という男がいるから際立つような気がする。
同心である木暮信次郎と、岡っ引きの伊佐次こそがバディではないか、と構造的にはそうだ。そしてそっちのバディはバディできちんと機能している。
この食えないあるじを、観察し面白がっているのが伊佐次で、伊佐次の人物像もまた信次郎によってどんどん変化(へんげ)してゆく。
そして木暮信次郎と遠野屋清之助のほうのバディ。こちらは相棒でもなんでもない。
むしろピリピリした関係なのだが、自分にはこの『弥勒シリーズ』とは
木暮信次郎と遠野屋清之助のバディもの、相棒ものとしか思えないのだ。
この2人が対峙するシーンが出てくると、ゾワリとしながら…今はあまり聞かないかもしれませんが「萌え」てしまう自分がいる。うまく表現出来ません!
さて物語中、江戸の助け合いという人情の機微に触れ感激する伊佐次親分に、木暮信次郎がピシャっと言うシーンが出てくる。
「親分、夜叉の下に仏が宿るこたぁ滅多にないが、仏の面(つら)の裏に夜叉が潜んでるなんざ、あちこちにごろごろ転がってる話じゃねえかよ。どうにもならねえほど惨(むご)くて汚ねえことなら鵜呑みにしたって差し支えはあるまいよ。けどな、涙を誘うようないい出来事となると、まんま信じるわけにはいくまいぜ。ふふ、親分ならそれくれえ百も承知だろうに」
クーーー〜っ!!最高です!この木暮信次郎の言い方!現実で上司や同僚にいたら嫌かもしれませんが…いや、居てもいいか!
まあとにかくこの男の造形に、痺れてしまっているのでございます。(強引)
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