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イタリアとのお別れ

イタリアを離れ、イギリスへ向かう前日と当日。
出会ったみんながお別れに来てくれました。
プレゼントをくれたり、カフェに連れて行ってくれたり。

イタリアの朝はカプチーノから始まります

小学生の女の子がハグして車に乗ったのに、また降りてハグをしに来てくれるのを、これまた何度も繰り返してくれました。回を重ねるごとに笑顔が涙目に。
「分かれ難い」とはまさにこのことなのかと実感しました。

「またきてね!」
「次に来るときはずっとうちに泊まってね!」
「次は一緒にサルサに行こうね!」
「次はいつ来るの?」
と私にはわからないイタリア語でウルウルしながらハグをして言葉をかけてくれる人たち。

大袈裟かもしれませんが、私がこの世に存在していることを認めてもらったような気持ちになり、心から嬉しいと思えた瞬間でした。

そんなに長い時間を一緒に過ごしたわけではないのに、ボンジョルノとグラチエしか通じる言葉はないのに、何が私たちの間にあって、何がこんな別れにさせるのか?
イギリスに向かう飛行機の中でこの文章を書きながら、考えてたら涙が込み上げてきました。
お別れの時の私は意外とクールで、「泣かないで、また来るから」「寂しいねーでもまた会えるよ」なんてニコニコと泣き真似をしたりしていたのに。
今になって、なんだかみんなの優しやさ愛情をじんわり感じます。

イタリアで感じたことのひとつに人付き合いの濃さがあります。
人にもよるとは思うのですが、とにかくよく話すし、よく会いにきたり行ったりします。
会って話すし、電話で話すし。
立ち話も日常茶飯事。

ミラノやトリノのような都会はまた違うのかもしれませんし、私が見て感じたイタリアの風景とイタリアで会った人から感じた個人的な体験のお話です。

人に会っても「話すことがない」「何を話していいかわからない」と言う日本人の言葉をよく耳にします。
イタリア人にもそんな人がいるのかどうかは定かではありませんが、今回会った大勢の人はとにかくお話好きでした。

「家族に電話した?」と何度も聞かれましたが、毎回私の返事は「してない」でした。
「電話したほうがいいよ」と言われても「何を話すの?」と思ってしまいます。
同行していた60代70代の日本人の方に「子供から毎日電話欲しい?」と聞いたら「ちょっと煩わしいね」というお返事に「ですよねー」と笑い合いました。

とはいえ、この心の距離の近さ、人を思う愛の贈り方、気持ちを素直に表現し相手に伝える力、そんなことがとても暖かく、穏やかに感じられました。

私はサルサという男女ペアで踊るラテンダンスが趣味なのですが、ペアダンスは社交ダンスもサルサも女子は男子のリードを受け、それに応える形で音楽に合わせて即興で踊ります。
イタリアに来て、このダンスはやはりラテン文化のコミュニケーションの方法のひとつだったんだと感じています。気持ちの送り方、受け取り方がちょうど良く通い合うと、調和の取れたダンスや会話が可能になるのだと。
迷いがなく投げられたボールは心にまっすぐ伝わってきます。それを壁になって跳ね除けるのではなく、きちんと、でもやんわりとキャッチして、自分に溶け込んだところで、同じだけのボリュームで自分のお返事の気持ちを投げ返す。ダンスで私が学んだことと同じだと思ったのです。
そんな心のキャッチボールができるととても良い関係が気づけるのかな?とぼんやり感じています。

もう一つ不思議だったのは「あなたは本当に日本人?」と何人かに聞かれたことでした。
髪が一部ヘナでオレンジだからでしょうか?(笑)
なぜだかは未だ不明です。
もしかしたら、サルサで心掛けている相手と音と空間と調和するということが自然にできるようになって、ラテン文化のイタリア人に溶け込めたのかもしれません。
そういえば前にサルサを踊ったペルー人に「あなたのダンスはラティーノみたい」と言われたことがあります。ラティーノのようには全くもって上手く踊れないので、その真意は不明ですが何か関係しているのかもしれないとふと思い出しました。

いつかGoogle翻訳に頼らずにイタリア語が話せるようになったら、今回仲良くなったみなさんに聞いてみたいと思います。(笑)

いよいよ飛行機に乗ってイギリスへ飛び立ちます。

飛行機に乗ってイギリスへ
さよなら、イタリア、ミラノ郊外上空
飛行機は雪がいっぱいの寒そうなアルプスを超えて北とへ向かいます
イギリスの見慣れたパッチワークのような景色が見えてきました

次回からはイギリスのお話をお届けします。
と、言いながら、イタリアの思い出話を差し込むかもしれません。
引き続き、一緒に旅を楽しみましょう!