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樋口一葉「にごりえ」「大つごもり」

わたしが樋口一葉に凝り始めたころは、20年近く前の丁度5000円札の出るころと重なったために、筑摩書房の全集も相当な価格に高騰していました。
けれどもどうしても欲しくて、神田神保町のY古書店で思い切って購入しました。
そんなことも懐かしい思い出となりました。
今はもっぱら青空文庫を活用して気軽に読んでいます。
と言っても一葉独特の擬古文体で一般的には読みにくいかもしれません。
ただ、これを現代文にしてしまうと魅力的なリズム感が失われそうなので、やはり原文で読むのが一番かなと思います。
すでに「たけくらべ」はnote記事に掲載してあります。

樋口一葉に嵌った最初の小説が、「にごりえ」でした。
はじめのころは、「たけくらべ」より面白く感じていました。
その後に明治文学に興味をそそられて読み漁りましたが、さすがに「たけくらべ」の文学的な評価が高いことに頷いた次第です。
今回は、久しぶりに樋口一葉を読もうと思い、まず「にごりえ」を読んだのですが、遊里の心中事件の物語の流れを汲む通俗性もうかがえて躊躇しました。
もうすぐ12月でもありますし、続けて「大つごもり」を読んでみました。
どちらを取り上げるか迷ったのですが、短編でもあり一度に両方の感想文をまとめることとしました。

「にごりえ」(水の濁った入り江)の内容を簡略に記します。

銘酒屋の売れっ子遊女、お力を主人公としてそのなじみ客だった蒲団屋の源七、高等遊民のような結城朝之助をめぐる話です。源七は、今ではお力に入れ込んで家が傾き裏長屋に住む身の上に落ちぶれてしまいます。それでも、お力のことに未練があり食事ものどを通らない有様です。源七の妻お初も心配しますが、息子の太吉がお力からお菓子を買ってもらったことをお初が怒ったことで源七と諍いになり、太吉とともに家を出ます。そして事件が生じます。お力が後ろから切られて死に、源七は見事に切腹します。無理心中と断言してはいませんが、そのように推測される結末となります。

「大つごもり」(年の最後の日ー大みそか)の内容を簡略に記します。

山村家に奉公するお峰は、父母が亡くなり叔父夫婦に育てられた恩があります。叔父が病となって八百屋稼業が傾いたために、今では裏長屋に住んでいます。この年末を迎えて、どうしても2両の金が必要となり見舞いに訪れたお峰に相談しますが、お峰は奉公先から借りることで用立てることを受けあいます。。ところが、結局山村のご新造はお金を貸してくれないことから、止むにやまれず引き出しから2圓の金を盗んで叔父夫婦の息子三之助に渡すこととなります。お峰は見つからないかとびくびくしますが、放蕩息子石之助が引き出しにあった残りを拝借した旨の書置きを残してあったことで露見しないで済みました。石之助がお峰の行為を知ってわざとそうしたのかどうかは、分からない結末となります。

この2つの小説には、以下のような共通点があるように感じられます。

① 裏長屋に落ちぶれて明日の飯にも困る暮らしが、ひしひしと描かれています。樋口一葉の生活も偲ばれるような感慨に浸ってしまいます。
➁ 太吉と三之助という子どもを登場させています。「たけくらべ」でも子どもが生き生きと描かれていることから、きっと子どもの存在は一葉の気持ちのなかで少なからぬものだったのではないでしょうか。
③ そして結末が曖昧に表現されています。明治のこの頃にはこのような表現が好まれたのか、一葉独自のものかは分かりません。

青空文庫から原文を引用したいと思ったのですがなかなか選ぶことが難しく、ぜひ興味のある方は面白半分にでも覗いてみていただけたらうれしく思います。

口語体小説への過渡期にあって、一葉があえて擬古文体の小説を発表し続けたことは、独自の美意識に忠実だったのではないでしょうか。
また、一葉の魅力を紹介するには、その日記を欠かすことはできません。
公表を前提として書かれたものではないために、一葉の死後に発表されました。
当時の一葉の心情と一葉を取り巻く人物像など、明治時代を背景としてつづられている面白さが日記にはあるように思えます。
いずれ機会があれば、内容をまとめてnoteにも投稿したいと考えています。

5000円札は、2024年に樋口一葉から津田梅子に変わるそうです。
一抹の寂しさはありますが、これからも一葉の文学は時代を越えて読み継がれていくものと、わたしは信じています。


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