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詩を読み始めたキッカケ

わたしが詩を読むようになったのは今年の2月頃、妻のつぎの言葉からでした。

「女優のTさん、茨木のり子の詩が好きなんだって。
 茨木のり子って知っているかな」
「茨木のり子?
 なんか聞いたことあるな。」

わたしはネットで調べてみました。
現代詩は難解との先入観から、ほとんど読んでいませんでした。
ネットに載っていた茨木のり子の詩は、とても明快で意外なものでした。
そこで、他の詩人にも興味がわきネットで代表的な詩に目をとおしてみました。
さらに面白かった詩人の詩集を買って読みました。
なかでも新川和江の「遠く来て」のつぎの一節には衝撃を受けました。

一滴の水をもとめて
遥かなところからわたくしはやって来ました
ようやっと辿りついた大河には
多くの生命体がむらがり
両岸には大都市が繁栄していました
欲望に膨れた腹を剝き出しにした水死人が
浮きつ沈みつ流れてゆくのも目にしましたが
わたくしは尚 一滴の水にかわく者です

なぜか分かりませんが、背筋がしびれて凍るように感じました。

自分なりに詩の魅力に取りつかれました。
日本の詩人もまだほとんど読んでいませんし、世界の詩人となったらまったくです。
今のわたしは、その楽しみの山を見上げながらワクワクしています。

茨木のり子は、居住していた処もよく知っていることから親近感があり寝る前にはかならず一篇の詩を読みます。
茨木さんの生前に、もしかしたら彼女とわたしはすれ違ったこともあったかもしれません。
その頃のわたしは、仕事に一辺倒で詩には関心もありませんでした。
茨木さんの詩を読むようになったのは感慨深いものがあります。

妻のひと言がなければ、わたしは詩を読まなかったかもしれません。
昔の自分は自分として、今のわたしは詩を読める有り難さが身に沁みます。



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