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寝る前に読むジェイン・オースティン

今年の6月中頃から寝る前には、かならずジェイン・オースティンを15分から20分程度読んでいる。
「高慢と偏見」を読み終わり、いまは「エマ」下巻の半分くらいを読んでいる。
英国文学ではシェイクスピアを読んでいたが、ジェイン・オースティンはまったく読んでいなかったし作家自体をよく知らなかった。

なぜ読み始めたかというと、妻との会話がキッカケだった。
「高慢と偏見、あの映画おもしろかったね」
「・・・」
「覚えてないの?」

たしかにそんな映画を見た記憶があったが、内容はまったく覚えていない。
よほど自分にはつまらなかったのかもしれない。
すぐにググってみると世界の小説10選にも選ばれるほどの作品であることが分かった。
正直、なんで映画は自分には面白くなかったんだろうという疑問がモクモクと湧く。
それならいっそのこと原作を読んでみるか、といっても翻訳だが、中央公論新社の大島一彦訳を携帯にダウンロードして読むことにした。

この翻訳は、はじめに訳者序があり、また文中に挿絵もあったりしてなかなかに読みやすい。
作品自体は、ストーリーといえるほどのものはなくて、主人公のエリザベスから観察した周囲の人物の恋愛を中心とした心理劇のように感じた。
クライマックは、身分違いの結婚に対して相手の身分が高い叔母からの大反対の意見に対して、エリザベスが毅然とした反論を述べるところだろう。
「エマ」もそうだが、とにかく文句なしにおもしろい。
寝る前に読むには重過ぎなくて丁度よい。
どちらの作品も主人公が魅力的であり、かつ、周囲の人物描写も巧みだ。
さらにユーモアにあふれており、暗さがない。

この小説の出版が1813年、当時はほとんど注目されなかったということだが信じがたい。
わたしの好きな作品、トルストイ「戦争と平和」1867年、バルザック「ゴリオ爺さん」1835年より前に出版されている。
悲劇的でもないし、喜劇的でもない、偏らずに現実を見据えることによって当時の英国社会の状況下において自己実現を目差す近代的女性の姿を魅力的に表現した現代にも通じる作品となっている。

この作品のどこがそんなに面白いのか。
その最大の理由は、わたしは推理かなと思う。
登場人物の心理状態、特に恋愛相手の心理状態は、その会話と主人公が相手の心理を推測する心理描写にかかっている。
要は本心は分からないため、読者は自然とどうなんだろうかと引き込まれていくこととなる。
そのミステリアスなところに面白味があるのではないか。
寝る前にあれこれと思いめぐらしながら読み終えることが、一日の最後の楽しみでもある。


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