「息抜き」は必要なのか
会社を退職して2週間は経とうとしています。有給消化期間を含めれば1ヶ月は働いてません。
退職し無職の旨を伝えると大抵は「少し休みな」とか「息抜き」とか言われます。
息抜きって安直に使うけど、実際に必要なのか考えてみました。
息抜きの意味
息抜きで検索し、辞書で意味を見てみると、以上のような結果になりました。言葉の意味を再確認できました。
必要なのか
言葉の意味を再確認したところで、更に疑問は湧いてきます。
緊張を解く必要性と気分を転換する必要性です。
休むことは確かに必要です。それがなければ最悪死んでしまいます。
緊張を解くこと、気分を転換することは必要なのでしょうか。
そもそも論として、緊張状態をなくすことや気分を変えることを人間は容易に行えるのかも不明確です。
緊張状態では人間は休むことができないのか、気分を転換しないと休めないのか、この辺りもわからない部分ではあります。
ここまでくると堂々巡りになってしまいますが、ここでの結論は、
休息は必要だが、緊張状態の解除と気分の転換の必要性や可能性は断言できないということにしておきます。
息抜きを「する」のではなく「してしまった」が理想
息抜きについて考えてますが、息抜きは日々のルーティンの中に紛れ込んでいるのが理想なのかもしれません。
「息抜きしたいからこれをする」ではなく「〇〇していたら心が軽くなったな」みたいな感じでしょう。
だから「息抜きしたら」という周囲の声に違和感を覚えるのでしょう。
息抜きのための行動ではなく、結果そうなってしまうのが大切なのです。
そう考えると、哲学者アリストテレスも近いことを言っています。
行為自体が目的になることが幸せであると。
例えば、家を建てるという行為の目的が建てた家で何かするとかだったら、家を建てるという行為は目的の為に不自由になります。しかし家を建てることが目的であれば、建てている瞬間はとても楽しいものになるでしょう。
また哲学者イマヌエル・カントも同じようなことを言ってました。説明がめんどくさいので定言命法仮言命法と検索して見てください。
息抜きは必要ですが求めてはいけません。
結果そうなっていれば良いのです。
そんな私は息抜きしてる場合じゃないんですけどね。