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ディストピアとユートピア

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、ディストピアである現実をユートピアに変えるための豊かな精神性を育んでくれる漢詩を読み解く『ディストピアとユートピア』を紹介させていただきます。

絶望を笑い飛ばす、漢詩に込められた豊かな精神

概要

漢詩には思いが先にあり、教養や物に感じ入る繊細な心、思いが凝縮して込められています。「ディストピア」である現実を「ユートピア」に変えるにはどのようにすればいいのか。その答えを、陸游(りくゆう)、杜甫(とほ)、蘇東坡(そとうば)、夏目漱石(なつめそうせき)、河上肇(かわかみはじめ)の5人の漢詩人の人生と漢詩を読み解きながら、人生の悲嘆などもあらわされた漢詩のなかに探る試みがされている作品です。

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著者紹介

著者は大東文化大学文学部准教授、博士(中国学)の山口謠司氏。山口氏は1963年、長崎県生まれ、大東文化大学文学部を卒業後、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ばれました。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て、帰国後、イラストレーターとして、自著の他、林望、大岡玲などの著書の挿画、装画なども手がけられています。


この作品のポイントと名言

どれだけ絶望的な世界にいたとしても、人はこれまで生き抜いてきた。魯迅は、「絶望の虚妄なること、まさに希望に相い同じい」(『野草』所蔵「希望」)といった。(はじめに、p7)

いずれにしても、冬の日の暖かい光を浴びてのんびりと過ごした、夢のようなひなたぼっこの時間は、気が付いた時にはあっというまに過ぎてしまっていたのです。愛しい時間は、心のなかにぽっかりと甘く残っているのだけれども……。(第一章、p20)

心の底にある悔しさや悲しさを、他人は埋めてあげることはできません。どんなに苦しいことがあっても、人はそれを背負って生きて行かなければならないのです。(第一章、p30)

漱石は、どうやって文豪と呼ばれるような人になったのでしょう。それはさまざまな要因がうまく重なって、才能が発揮されたからというのがもっとも適当かと思います。(第二章、p48)

「漢籍」というのは漢文漢詩の文学作品をいう言葉ですが、このことから、漱石にとってとくに「漢詩」は、子規とのつながりのなかで忘れられないものとして心のなかに熟成していくこととなるのです。(第二章、p52)

漱石の漢詩に、もっとも影響があるのは陶淵明(三六五~四二七)だといわれています。漱石の初期の作品に『草枕』がありますが、このなかに次のような言葉が見えます。(第二章、p64)

陶淵明は「隠逸詩人」と呼ばれます。そうはいっても、山のなかに隠れて人を避ける隠者ではありません。有名な「飲酒 其後」という詩に陶淵明の理想とするユートピアが描かれています。(第二章、p67)

漱石の生き方はまさに、陶淵明の隠逸を実現しようとしたものでした。(第二章、p69)

漢詩は、一見すると、ただの漢字が並べてあるようにしか見えません。しかし、そのなかに大きな世界を描き出しています。(第三章、p80)

悠久の自然に対する人間の命のはかなさ、そして季節の変化は、常に法則のように決まっているのに、時代の変化はいつも急激で、あっというまに人々を幸福の絶頂から不幸のどん底まで引きずり下ろしてしまう。(第三章、p85)

人にはそれぞれ、境遇の差というものが、常について回ります。けっしてすべてが人に平等というわけにはいかないのです。(第三章、p90)

若い頃に持っていた「自負」は、無残に砕け散ってしまっていました。だからこそ杜甫は心の内を、自分の言葉として、素直に出せるようになったのかもしれません。(第三章、p112)

李白の真似など杜甫にはできません。自分は、風に流されてなびくもの、翼があっても、風が吹けば飛ばされてしまうようなもの、どこに行くのか、自分でもわからない、そんな弱い者だというのです。(第三章、p127)

蘇東坡は、ひとことでいえば、すべてのことを楽しむことができた人でした。六十六年の生涯には、もちろん、辛いこともあったに違いありません。しかし、どんな辛いことがあっても、蘇東坡はそこに楽しみを見つけました。(第四章、p132)

「所有」とはなにかと、蘇東坡は問うのです。権力、財産、地位、名誉……さまざまな「所有欲」が人の心にはあります。一度握ったものを、簡単に手放すことはなかなかできません。(第四章、p151)

「教養」といってしまえば、それだけかもしれません。しかし、自分の持っているものすべてを使って遊ぶということは、「楽しみて以って憂いを忘れる」(『論語』述而篇)ことにつながるのだろうと思います。(第四章、p168)

蘇東坡にとって、「豊かさ」は、料理でもあり、書でもあり、そしてなんといっても「詩」を作ることだったのでしょう。(第四章、p172)

これまで陸游、漱石、杜甫、蘇東坡と、四人の漢詩を見てきました。読み返すと、そのたびごとに違った味、深みを得られるのが「古典」だといわれますが、これら四人の漢詩は、まさにそれにあたるでしょう。(第五章、p174)

『貧乏物語』で河上肇は、「心」あるいは「心がけ」によって、社会は変わるということを力説します。(第五章、p186)

もし、すべての人々が満足に、不平もなく生きていくことができたとしたら、それは「理想郷」でしょうが、はたしてそういう世界が実現できるのでしょうか。(第五章、p191)

「仁」という言葉を使って社会をもう一度まとめようと孔子はいいます。しかし、この孔子の言葉も理想であり、まったく現実的なものではありません。(第五章、p199)

ギリシャにはじまるヨーロッパの「ユートピア」という理想郷は、中国の古典では「桃源郷」という言葉で表されてきました。それを描いたものとしてもっとも有名なものは、陶淵明の「桃花源記」です。(第五章、p205)

ユートピアは、漢詩という世界だけにあるわけではない。ただ、漢詩には、そういうことを考えるヒントが、比較的わかりやすく見える点があるのではないかと思うのだ。(おわりに、p221)


dZERO新人HKのひとこと

 正直、この作品を読むまで漢詩にまったく興味を持っていませんでした。学生時代、漢語がとにかく苦手で、どうしてこんなものを勉強しなければならないんだ? と思っていました。漢詩も読み解いたことがなく、そんなわけですから作ったこともありません。しかし、作品内で読み解かれた漢詩の繊細な美しさや人生の悲喜こもごもといった奥深さを知り、学生時代にまじめに勉強しなかったことが悔やまれました。
 陸游、杜甫、蘇東坡、夏目漱石、河上肇の5人の漢詩人の人生と漢詩が、とてもわかりやすく読み解かれており、漢詩というものの豊かさを知ることができます。漢詩には、人生に起こるさまざまな悲劇を、どのように受け止めて、心の豊かさを得るのか、そのヒントが至るところに散りばめられています。
 作品内に収録されている漢詩ばかりでなく、もっと多くの漢詩を読み、自分なりに解釈したくなります。また、自分なりに漢詩を作ってみたくもなりました。教養とは、こういうことをいうのかと納得しました。

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