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福嶋聡著『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』刊行!


2024年2月26日発売!

noteでのご報告が遅れていましたが、『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』福嶋聡著、が発売しております。
すでにお買い求めいただいた皆様ありがとうございます。
まだお手元にない方はぜひともご購入をご検討ください!

アフター6ジャンクション2

ヒップホップグループRHYMESTERのMCである宇多丸さんがパーソナリティーを務めるラジオ、アフター6ジャンクション2にて森達也さんよりご紹介いただきました。
映画『福田村事件』の話題からはじまり、本書を「まだすべて読めていないけど、とてもおもしろい」とご自身の読書体験を交えながらご紹介いただいております!
ぜひご覧ください。
ビヨンド・ザ・カルチャー「読書について語らうブックライフトーク feat 森達也」

内容紹介

概要

カウンターデモに参加したわけでも、座り込みに参加したわけでもない。書店での、本を媒介しての活動や発信は防御壁に囲まれた「安全地帯」からのものに過ぎなかったのではないか? ここまで自分を追い詰めたとき、ぼくは我に返った。 ――本文より   

著者はおよそ10年間、「ヘイト本」という現象をめぐって「書店の役割」を自問自答しつづけてきた。書店は「言論のアリーナである」という帰結を見出したと思えたが、葛藤が消えたわけではない。60冊を超える書物から言葉を引きながら、「ヘイト本」をめぐる自問自答の軌跡を披歴。「書店とは何か」――40年以上にわたる葛藤や決意の収斂。書店員という枠を超えた思索の書。

目次

【目次】
Ⅰ 明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか
第1章 「アリーナ論」の発端/第2章 『NOヘイト!』フェア顛末記/第3章 「歴史の抹消」の抹消/第4章 歴史修正主義とベストセラー   

Ⅱ ただ嘆くだけで、終わってしまったのではないだろうか
第5章 討議と敵対/第6章 敵側の言説/第7章 対峙姿勢/第8章 書店の棚と民主主義   

Ⅲ その本はなぜ、多くの人を惹きつけるのだろうか
第9章 書店を襲う「非日常」/第10章 「正義」の争い/第11章 公開対決の場   

Ⅳ 「わからない」は、何を意味するのだろうか
第12章 負の歴史との対峙/第13章 沖縄の戦後史を学ぶ/第14章 差別の相対的構造   

Ⅴ やはり発端は、「自分探し」ブームだったのだろうか
第15章 アイデンティティがもたらすもの/第16章 『脱アイデンティティ』と『自我同一性』を読み返す/第17章 「アリーナとしての書店」の条件/第18章 『スマートな悪』との出会い/第19章 歴史戦、思想戦、宣伝戦   

Ⅵ 弱者攻撃の動機は、どこから来るのだろうか
第20章 書店を「言論のアリーナ」と呼ぶ所以/第21章 書店という生業の存在理由/第22章 名もなき人々の歴史を伝える著作/第23章 反差別の発信   

Ⅶ ヘイトスピーチ・クライムの厳罰化は、なぜ進まないのだろうか
第24章 『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』を読む/第25章 『刑法入門』で考えるヘイトクライム/第26章 ヘイト言説と向き合う場/第27章 「動かぬ証拠」としての書物   

Ⅷ 書店は、「言論のアリーナ」になりうるのだろうか
第28章 『賢人と奴隷とバカ』と『NOヘイト!』フェア/第29章 「闘争の場」の消失/第30章 「ヘイト本」の駆逐が意味すること/第31章 「加害者の側に立てる勇気」とは/第32章 揺籃としての書店

本書に登場する書籍の一部

著者紹介

福嶋 聡(ふくしま あきら)

書店員。1959年、兵庫県に生まれる。京都大学文学部哲学科を卒業後、1982年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長などを経て難波店に。2022年2月まで難波店店長をつとめる。学生時代は俳優・演出家として演劇活動に没頭した。

著書に、『書店人のしごと』『書店人のこころ』(以上、三一書房)、『劇場としての書店』(新評論)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)、『書店と民主主義』(以上、人文書院)、共著に『フェイクと憎悪』(大月書店)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社)などがある。

ジュンク堂書店難波店店長時代の福嶋聡さん

装丁・装画

装丁:渡邊民人(TYPEFACE)さん
装画:ささきえりさん
とてもやわらかく、すてきな装画と装丁にしてくださったお二人です。

購入サイト


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