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ガザの空の下

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、紛争地ジャーナリスト藤原亮司氏による入魂のノンフィクション作品『ガザの空の下』を紹介させていただきます。

過酷な運命の中を生きる人々の悲嘆、そして希望

概要

長期間の紛争が続く過酷な環境で生きるガザ地区の人々。イスラエル国内のこの地区は「空の見える監獄」と呼ばれています。イスラエル軍がガザに対して行う攻撃の様子が、そこに暮らす人々の恐怖を交えてつぶさに書かれています。それでも明日を諦めない人々の希望。どれだけつらい日々でも、そこで暮らす人々は食事をし、家族や友人と冗談を言い合って笑い、女性の話もする。イスラエル側から見たガザの様子、日本における在日韓国人との対比も書かれています。この作品はVideo on the Bookで、著者が撮影したパレスチナの貴重な映像(約10分)と写真(約100点)が視聴できます。

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著者紹介

著者は、ジャパンプレス所属のジャーナリスト藤原亮司氏。氏は1967年大阪府に生まれ。1998年からパレスチナ問題を追われています。ほかに、シリア、イラク、ウクライナ、アフガニスタンなどの紛争地や、国内では在日コリアン、東日本大震災、原発問題などの取材を続けられています。


この作品のポイントと名言

「私自身の独特のルポルタージュ」。本書がそんな、一ノ瀬信子さんとの「約束」を満たせているのかどうかは分からない。少なくとも私は、できる限り人が生きてゆく生身の姿を描きたいと心掛けた。(まえがき、p3)

戦争に反対する母親たちが、「二度と息子たちを戦争の犠牲者にさせないぞ」とシュプレヒコールを上げる姿。言いたいことは分かるが、そのスローガンに、何かすり替えられた被害者意識のようなものを感じた。(序章、p16)

「在日」であるということや、民族や国籍について、彼女ほど真剣に考えたことがなかっただけなのかもしれない。「おれは無知ゆえの博愛主義者か」。そんなことを突き付けられたような気がして、私は余計何も言えなくなった。(序章、p18)

一九九八年夏、私はその答えを見つけるために、一眼レフカメラを持ってパレスチナへと向かった。ユダヤ人とパレスチナ人という二つの民族が対立し、国を追われた人々がいる場所。(序章、p22)

四方を分離壁と海に囲われ、ガザに出入りするための二つの検問所が封鎖され、人も物資の出入りもイスラエルにコントロールされているガザは事実上、未だイスラエル占領下に置かれている。(第一章、p34)

この先にあるのは「国」ではなく、国を持ちたいと願いながらも叶わない人たちが暮らす占領地だ。私は荷物を背負い、「巨大な監獄」と呼ばれる封鎖されたガザへ向かい、歩き出した。(第一章、p36)

話を打ち切った兵士たちは、私と通訳のサーレ、ドライバーのハズムの手首を結束バンドで縛り、装甲車に押しこむ。基地に連れ去られる私たちの姿を、農民たちが憐れむような、また「おれたちじゃなくてよかった」というほっとしたような顔でバツが悪そうに見送っていた。(第一章、p46)

「撃たれてみて少しは理解できただろう。今日、農場で起きたこと、それがパレスチナの現実だ。イスラエル人といくら和平の話などしても、なんにも解決しないんだ。パレスチナ人は、いつも理不尽に殺され、そして何も言えない」(第一章、p49)

「理由もなく撃たれ、夜は戦車とブルドーザーが家を壊しに来る。それでもおれたちはテロリストと呼ばれなければいけないのか。殉教作戦は、パレスチナ人がまだジハードを諦めない意思表示なんだ」(第一章、p56)

外国人ジャーナリストの私がそこで取材をすることへの警告のために、近くにいた子どもを撃ったのか。戦闘中の混乱状態ならともかく、今日のような静かな状況で、まさか国家の正規兵がそんなことをするだろうか。理由の分からない不可解な狙撃だった。(第一章、p67)

イスラエル軍によるパレスチナ侵攻は「自爆テロ」の発生に伴い激しさを増していた。西岸地区における軍の作戦行動の規模は大きく、一度の侵攻での死傷者や家屋破壊はガザのそれよりも甚大だった。(第一章、p76)

何よりも違うのは、時折聞こえてくるライフルの銃声だ。散発的に聞こえることもあれば、連射音が響くこともある。緩衝地帯に近づこうとする者に対し、イスラエル軍が撃っているのだと通訳が説明をした。(第二章、p90)

「将来のことは、大人になるまで生きていたら考えるよ」わずか十歳の少女があまりにも淡々と語った「死」に、私は何も言葉を返すことができなかった。(第二章、p92)

「インティファーダでも何も変わらなかった。オスロ合意でも何も変わらなかった。暮らしは悪くなる一方だ。仕事をしたり、別の街に出かけたり、そんな普通のことが、どうしておれたちにはできないんだ。こんな不自由な人間の暮らしがあるか?」(第三章、p124)

床に転がったゆで卵に腹を減らした子どもだけでなく大人の男も、慎み深い印象のアラブの女までもが殺到し、罵声が飛び交う。私は食料を奪い合う人々の姿を初めて見た。あっという間にゆで卵がなくなると、再びレストランは静まりかえる。(第四章、p156)

「PLOは彼らの支持者にとっては大切だったかもしれないが、私たちには援助もなかった。戦争が起きると一番困るのは、日雇いの仕事がなくなり、食料が買えないこと。そんなときは近所の果樹園に行って、果物を盗んで飢えをしのいだこともあった」(第四章、p168)

イスラエル占領下のガザ地区に暮らすパレスチナ人から聞いた言葉と重なる。「人は生まれてくる場所を選べない。この身動きの取れない暮らしの中で、大切なのは、自分に恥ずかしくないように生きることだ」(第五章、p192)

包帯を外した女性の足や腕は焼けただれて痛々しかった。白燐弾は体に付着すると高温で皮膚を溶かしながら体の奥へと進んでゆく。まるで熱した鉄の棒を差し込まれたような奇妙な火傷の跡が、サバ―・サリーマ・ハリーマの皮膚と肉に無残な穴をあけていた。(第七章、p226)

それは皮膚が真っ黒に焦げ、犬に食いちぎられて下半身がなく、日本の大腿骨と背骨が剥き出しになった妹の姿だった。その右手は何かをつかもうとするかのように宙に突き出されていた。(第七章、p230)

空の見える監獄の中で何度も戦禍にさらされながら、それでもサミールは生きている。自分の店を三度オープンさせ、二度壊された。何もかもが思うようにならない場所で、それでもガザの人たちは暮らし続けている。私は急にガザが懐かしくなった。(第八章、p263)

「国連からもらった食料を食いつなぎ、それがなくなればどこかのNGOから食料をもらう。たまの日雇い労働で稼いだ金で、少しの服を買う。何も望まなければ、誰も飢えることはない。でも、これが人間の暮らしか?」(第八章、p273)

はるか上空から撃ちこまれたミサイルの爆発は、凄まじい勢いで周囲一面にコンクリート片や壊れた家具、電化製品などの破片を吹き飛ばす。空爆は爆発そのものより、巨大な散弾銃のように飛び散った破片で人々を殺傷する。(第八章、p278)

死ぬことよりも過酷な日常を生きる人たちがいる。ようやく一日をやり過ごして眠りについても、目が覚めたらまた一日が始まる。(終章、p298)


dZERO新人HKのひとこと

 国際社会から忘れられたガザ地区に暮らす人々の生活の様子がつぶさに紹介されています。この作品を読んで、紛争地に暮らす人々にも私たちと同じような感情があり、人生があり、そして日々生きているのだと身近に感じられました。ニュースで見るガザの様子はどこか無機質で、単なる数字として見ていた部分があったのですが、この作品からはそこにいる人々の肉声が伝わって来るかのようでした。
 藤原氏が小さな女の子に将来のことを尋ねた時、その子が「生きていたら考える」と答えたことに対して、紛争地のリアルに触れてはっとしました。それでも、人々はガザで生きているのだなと思うと、希望とは何かと考えてしまいます。
 それでも人々は生きるためにごはんを食べるし、家族や友人と語らうし、女の子にモテたいと思っていることに、少しばかりの安堵を覚えます。私たちと変わりのない人々がガザに暮らして生きているのだと、ニュースからでは分からないリアルがひしひしと伝わって来ます。


おまけ

藤原氏が撮影したパレスチナの貴重な映像(Video on the Bookで全編視聴可)








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