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談志が遺した落語論

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、「談志哲学」がつぶさに語られている『談志が遺した落語論』を紹介させていただきます。

これが談志落語の神髄である。

概要

「落語を最後まで愛し抜いた落語家」立川談志師匠が日記のように書きとめた言説の断片を、初公開写真とともにまとめた拾遺集です。断片的な短い文章の中に、家元の落語への思い、未練、小さん師匠への思い、自分の芸に対する振り返りなどが赤裸々に書かれています。

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著者紹介

著者は落語家であり、落語立川流家元の立川談志師匠。談志師匠は16歳で五代目柳家小さんに入門、前座名「小よし」を経て、18歳で二つ目となり、27歳で真打ちに昇進し、「五代目立川談志」を襲名されています。また、1971年、参議院議員選挙に出馬し、全国区で当選、1977年まで国会議員をつとめられました。1983年、真打ち制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会され、落語立川流を創設し、家元となられました。


この作品のポイントと名言


昔と同じように富士山もありゃあ、夕暮れや夕立もあるが、富士山はともかく、人によっちゃあ夕暮れや夕立も違ってきたと言っている。だから「馬の背を分ける」なんと言っても判らない。(第一章、p14)

昔の客は違っていた。見事なブーイングがあったのだ。銚子や浦安なんという港町へ行けば、座布団は飛んでくるわ、幕は閉めちゃうわで、どうにもならない状況になることもあったっけ。(第一章、p16)

映画もTVも、そういう大衆に毒されてどんどんつまらなくなる。あァ、ヤな世の中だ。くどいが、談志の落語は違う。バカには理解らない。(第一章、p18)

現在演られている落語の多くは、三遊亭円朝が創った。円朝は「落語中興の祖」とも呼われている。ということは、円朝にも、ガキの頃の私が”共感”する何かがあったのか。(第一章、p24)

死まで茶化すのをユーモアという。己の死まで茶化してくる。これを苦しくても見るのが本当のユーモアだ。(第一章、p25)

私が落語を考えるときには、”落語に反していないかどうか””落語的であるかどうか”という基準で判断をする。(第一章、p27)

落語は結構なもんだと思う。落語のフレーズが判れば、落語を聴き込めば、人生のトラブル、恥ずかしさ、虚しさ、いろいろ含めて救いになることは確かだ。(第一章、p28)

小説家じゃあ、イリュージョンまでいけない。酔ってチンポコ出して歩くなんざァ、作家にはできまい。落語家だからできる。(第一章、p38)

美学優先だったのは確かだ。美学が好きでやっていたと言ってもいい。落語における美学、その最もたるものが「吉原」であり、大見世の風景であり、長屋の連中の会話よりも、「吉原」の雰囲気のようなものが好きで演っていた。(第二章、p60)

ズバリ言うと、落語に枕は要らない。で、”必要ない”という前提で振る枕は、文学的であるとか、滑稽で面白いとか、アイロニーであるとか、洒落たギャグであるとかでなければならない。(第二章、p77)

「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉がある。無理が通れば、道理なんぞなくていいということだ。(第二章、p78)

伝統から攻める奴がいたり、もっと違う方向から攻めてきたり、たとえ談志と形式的には同じでも、”俺はここまでいったよ”と言ってくれれば、”おお、凄えなァ”となる。(第二章、p88)

人間、どっかで、共通価値観を持つことで安定できる。共通価値観を持たずに何かをやった奴がいると排除される。それがよほど秀でたものであれば、それが次の価値観になるだろう。それを「天才」と言う。(第三章、p108)

けど、ことによると人間、満員電車が好きなのではないか。人間がそこに集まっているということと同時に、同じ状況にいるということを確認したいのだ。(第三章、p114)

「売れる」にはどうしたらいいのか、「上手くなる」とは何なのか。「落語」とは何なのか。(第三章、p118)

人間、物事を見抜いていくのが人生だ。見えたことに対して、どういう態度をとるのか。(第三章、p121)

弟子どもは、言葉の上では”判った”と言うが、心情的に理解らないから、変な踊りや唄になる。(第三章、p124)

俺が死んだらどうなるか。そんなもの、知るものか。刃傷沙汰で談志を継ぎたきゃ継いでも構わないし、立川流を残したければ残せばいい。ま、なくなるだろう。なくなっていい。(第三章、p128)

家元、落語を創る、出来上がる、喋る、受ける、飽きる、それもすぐに飽きる。(第五章、p174)

「初心忘れるべからず」という言葉も、ずいぶんいい加減な言葉かもしれない。変な初心のために、えらい目に遭ったりなんかするから、むしろ初心を忘れたほうがいい場合もあるのではないか。(第五章、p184)

やがてくる己の死を考えているわけではない。弱くなることで死が近づいてくる。だから人間、死ねるんじゃないか……。(第五章、p187)

未練があるから生きていていいのであって、それがかなえられた日にゃあ、終いになる。といって、それらを追っかけていけばキリがない。(第五章、p188)

罵倒を含めていろいろなことが言える世の中、風潮、戦後のシステム。ありがたい世の中に生きているということは言える。どうも、ありがとうござんす。(第五章、p199)


dZERO新人HKのひとこと

 談志師匠の落語にかける思い、小さん師匠への思い、人間の持つ不条理さや哲学が短い文章に書かれています。60年分の家元の考えは、まさに「談志哲学」の神髄と呼ぶのにふさわしいと思いました。家元特有の一級品の毒、不条理さがいたるところに散りばめられており、ついついクスリと笑ってしまいます。
 談志師匠の落語に対するまっすぐな姿勢に感銘を受け、心から落語を愛し落語に愛されていたのだなあと感じました。それに加えて家元独特の感性や独自の視点が複雑に入り込んだからこそ、「談志落語」というものが完成されたのだとも理解しました。短い文章ばかりですが、ここには「談志哲学」の本質、確信が書かれています。談志師匠の人柄、感覚、感性が文と文の間から伝わってきます。家元は落語を通じて人間の本質というものを鋭く観察していたからこそ、これほどまでに笑える毒に昇華することができたのだなとも思いました。口を開けて爆笑するタイプの「愉快な笑い」ではなく、ついつい「ニヤリ」としてしまうナンセンスな笑いです。私はそういう毒を含んだ笑いがとても好きです。


おまけ

談志の楽屋@クラウド 創刊第1話 イリュージョン落語論

談志市場 伝説の高座映像や激レアのプライベート映像、病床でも書き続けた直筆短冊や声を失う直前の肉声などを動画でお届け。ここでしか見られないオリジナルの「立川談志」コンテンツ!


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