舞台と客席の近接学
はじめに
こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、劇場(演者)と観客、観客同士の距離の法則、相互作用について論じられた『客席と舞台の近接学』を紹介させていただきます。
人と人との距離に着目する「近接学」
概要
私たちは距離の法則に支配されています。この作品では、劇場における距離の問題が述べられています。劇場では、舞台と観客の間には距離があり、それは距離があることによって観客が脅威にさらされず、無防備に楽しむためです。また劇場では観客と観客が密接距離で配置されることによって、感情が会場内を伝播し、笑い声や笑顔が情動伝染を引き起こすのです。演者の表現は、観客に影響を与え、観客はそれに無防備に身を委ねることによって、集合的感情を抱き、特有の盛り上がりを生じさせます。距離という観点から劇場にアプローチする「劇場認知科学」は生まれたばかりです。
著者紹介
著者は、認知科学者、数理生物学者、早稲田大学人間科学学術院准教授の野村亮太氏。野村氏は1981年、鹿児島県生まれ。2008年、九州大学大学院で人間環境学府行動システムを専攻し、期間を短縮して修了。2018年、東京理科大学大学院工学研究科経営工学専攻修了。博士(心理学)、博士(工学)。2020年4月より早稲田大学人間科学学術院にて劇場認知科学ゼミを主宰されています。大学時代は落語研究会に所属し、研究者となってからは認知科学の手法で「落語とは何か」を追究し続けられています。
この作品のポイントと名言
演者の表現が観客を魅了する際の訴求力や観客どうしが影響を与え合う対人相互作用もまた正当な研究テーマである。(まえがき、p2)
人と人との距離に着目する「近接学」については、序章で改めて解説することになるが、これは、簡単に言ってしまえば、生物のある個体が他の個体との距離をどのように構造化しているかを論じる学問である。(まえがき、p2)
私たちの社会は、かなり広範にわたって距離の法則に支配されているということだ。しかもその距離の法則は、状況の諸条件に忠実であり、高々数センチで振る舞いは大きく変化する。(序章、p18)
ホールは、距離の関数として行動を予測できることを指摘し、ある個体と他個体との距離がどのように構造化されているのかを研究対象とする学問として「近接学」を提唱した。(序章、p19)
舞台と客席の距離はなぜ厳守されるのだろうか。第一義的には、観客が無防備に楽しむためである。結論を先に言えば、舞台上での表現が生身の観客に直撃したときに生じるっ衝撃を緩和する機能を距離が果たしている。(第一章、p30)
フラッシュモブでは、パフォーマンスが行われる場所と観客がいるっ場所との間に明確な境界はない。いわば舞台と客席は入り乱れて隣接している。これが恐ろしさを感じる本質的な理由である。(第一章、p35)
舞台と客席の近接が演出として成り立つのは、距離の重大さが前提にあるからだ。舞台と客席の距離をなくすことで、演者と観客との近接を許すことは、象徴的に”距離の零化”として一層特別な意味を持つようになる。(第一章、p42)
距離の零化によって象徴的な意味を喪失してしまうのは避けつつ、演者と観客との関係を変化させるより現実的な方法は、公演の最中に距離を縮めたり、伸ばしたりする演出である。(第一章、p49)
客席の観客は、動きを合わせようとも外そうともしていないのだが、視界に入る前方の観客の動きに知らず知らずのうちに影響を受けているということは十分ありそうだ。(第二章、p58)
意図の産物であるにせよそうでないにせよ、誰が誰に影響を与えるということが明確ではない環境でも、同期は成立する。こうした身体面の同調傾向が、劇場で生じる爆笑や熱狂を支えている可能性が高い。(第二章、p62)
「ある人の感情や関連行動が、他の人の類似した感情の直接的な引き金になる現象」が情動伝染である。笑い声や笑顔は、笑わせるのに十分な刺激である。声や表情といった刺激が情動伝染を引き起こす。(第二章、p66)
劇場には多くの観客がいる。しかも観客どうしが近い。だから、近傍の観客どうしが互いに影響を与え合う。これが、集合的感情を引き起こす重要な条件になっている。(第二章、p70)
観客間相互作用は、常に良い方向にのみ作用するわけではない。それゆえ、距離が近ければ近いほど、抑制の作用も強くなる。情動伝染が生じにくくなる方向で影響するということだ。(第二章、p74)
心理学だけでなく、生物学や物理学の知見を用いることで、劇場のコミュニケーションを広い学問分野の適切な場所に位置づけることができる。より広い学問分野とのつながりを意識しながら、劇場における距離の問題を論じていこう。(第二章、p81)
人間の認知的な側面から笑いが生じる原因を考え、おもしろさが生じるそもそもの仕組みより考える立場からは、周囲の笑い声があることによって、内容を理解するのが容易になったという説が提出されている。(第三章、p91)
演者の表現は、入力として観客に影響を与える。そのすべてを観客が意識的に把握できるとは限らないのだが、これに無防備に身を委ねることにより、観客は安心して集合的感情を抱くことができる。(第三章、p101)
噺家の口演が共通入力として観客の集合的感情を引き起こすのは、それが劇場に足を運んだ観客に対して蓋然性をもって影響力を持ち、多くの人の間に同じタイミングで感情を喚起するからだ。(第三章、p107)
情動伝染が生じ、共通入力の影響と合わさることによって、観客はおもしろさを感じる。観客間相互作用は優位に働き、会場全体で集合的感情を共有していく。(第三章、p113)
仮説が正しければ、共通入力が強すぎずまた弱すぎず、まさに中程度のとき、観客の密度が観客の集合的感情の生起に最も寄与するという結果が得られるはずだ。(第三章、p114)
劇場認知科学は、生まれたての赤ん坊のような学問ではあるが、時間空間を共有する演者と観客群のコミュニケーションを数理的に理解することで、これから社会の要請に応える研究に育っていくのであろう。(終章、p123)
私たちは距離の法則に支配されている。だが、いま距離が持つ意味自体が問い直されている。(終章、p125)
dZERO新人HKのひとこと
「接近学」というものがあると、この作品で初めて知りました。学問の世界とは奥深いものですね。作品内で述べられている、舞台(演者)と観客、観客と観客の距離の問題など、これまで考えたこともありませんでした。作品内で述べられている通り、舞台との距離や他のお客さんとの距離を、劇場が考えているからこそ、盛り上がるのですね。他のお客さんとの距離が遠かったら寂しいですし、舞台との距離が近すぎたらひやひやして演目に集中できません。今まで劇場内での距離を気にしたことはないのですが、言われてみると目から鱗で納得です。これからは、劇場に入るたびに舞台や他のお客さんとの距離を気にしそうです。ここで情動伝染が起こっているとか集合的感情になってるだとか、そんなふうに思いながら演目を楽しむことになりそうです。産声を上げたばかりの「劇場認知科学」が今後、どのように成長して、どんなふうに研究されていくのか、楽しみですね。
おまけ
野村亮太氏のコラム「やわらかな知性~認知科学から視た落語~」
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