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地下鉄サリン事件20年 被害者の僕が話を聞きます

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、地下鉄サリン事件被害者のさかはらあつし氏と元オウム真理教幹部であり、「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏の対談である『地下鉄サリン事件20年 被害者の僕が話を聞きます』を紹介させていただきます。

地下鉄サリン事件被害者と元オウム真理教幹部の6時間に及ぶ貴重な対談

概要

 1995年3月20日、午前8時ごろ、東京の帝都高速度交通(現・東京メトロ)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の計5本の電車内に、神経ガス「サリン」がほぼ同時に散布されました。乗客・乗員合わせて13人が死亡、負傷者は6000人を超えます。
 さかはら氏は事件当日、サリンがまかれた車両に乗り合わせ、被害を受けました。氏はサリン液の近くに座ろうとしましたが、周囲の目もありとっさに移動。しかし体のおかしさを感じて病院へ向かいました。医者もサリンの治療法や後遺症について知らず、ケアも確立していません。病院はさながら戦場のようでした。
 事件当時、元オウム真理教幹部の上祐氏はロシアにいたために極刑を免れました。氏の口から、オウム真理教に対する絶対的帰依、教祖・麻原彰晃に対して感じた父性、エリートに求心する仕組みが語られています。

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著者紹介

著者は著述家、映画監督、大学講師のさからはらあつし氏と「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏。阪原淳氏は地下鉄サリン事件の被害者であり、大学で客員研究員や講師をつとめながら、国内外のチームとともに映画作りを続けられています。上祐史浩氏は大学院在学中にオウム真理教に入信。地下鉄サリン事件発生時にはモスクワに滞在、事件後に帰国し教団のスポークスマンとなりました。偽証罪で逮捕され、出所後「アレフ」代表となりましたが2007年に脱会し麻原帰依から脱却、「ひかりの輪」を設立されました。


この作品のポイントと名言

一度、素直に上祐氏の話を聞いてみることで、オウム真理教というものが出てきた本当の背景を理解するための一助になるのではないかと思い、対談に臨みました。(はじめに、p10)

私が今、死刑囚ではなく、実験で死ぬことも、刺殺されることもなく、刑期を終えて出所して、事件の被害者遺族の方への賠償を行いながら生活しているのは、正に紙一重の状況を通過してきた結果でした。(はじめに、p15)

被害者の僕から見れば、「何も知らない人」がこの事件についてコメントしています。「自分の認識には限界があるのではないか」と自覚することもなく、わかったようにコメントする人が多すぎます。(第一章、p34)

二両目に移って少ししてから、「あっ、失神している人がいる!」という声が聞こえました。先頭車両の方を見ると、僕が少し前に座ろうとしていた席の隣にいた中年男性の体が、引きつっているのがわかりました。(第一章、p38)

その頃だったと思います。病院を行き来する人たちのなかから、「これはサリンだ」という情報が流れてきたのは。(第一章、p53)

そのころに「戦う神になれ」という主旨の神の啓示を受け、それが彼の心にものすごく強く残っているんです。十年後に地下鉄サリン事件に突入するまで一貫している。(第二章、p57)

世の中、お金じゃないと思いたいというのがあったかもしれないけれど、政治家と同じようにお金で高僧が動くという合理的な考え方がなかったんですね。(第二章、p62)

自分たち信者にとっては、その麻原の言葉は、「ヴァジラヤーナでポア(殺害)する側に回るか、そうではなくポアされる側に回るか」という意味を持っていました。(第二章、p71)

麻原のやろうとしていたことは、武力革命をさらに上回ったハルマゲドン計画のようなもので、いったんこの日本の都市をある程度崩壊させて、そのあとに新しいものを作ろうといったものでした。(第二章、p72)

総括の中にも書かれていましたが、「何か深いお考えがあるに違いない」、そう思ってしまうんですよね。(第二章、p78)

結果的には、これまでの行動を続けたいという無意識がまず大きくあって、自分なりに正当化し、納得するために協力し合った。信者のなかで慣れ親しんだ論理で、グルの行動を合理化、正当化したんです。(第二章、p80)

エリートが普通の社会で上がっていく緩慢なプロセスを、カルト的組織は教祖の独裁で急激に満たすことができる。(第二章、p87)

オウム真理教では性欲は穢れと見て遮断するような出家構造があるから、異性関係が薄い人ほど清らかだとする。つまり敗者を勝者に持ち上げるシステムがあるんです。(第二章、p97)

一番つらいのは、サリンを吸った後遺症がどういうものかだれも知らないことです。医学的にも解明されていないから、医者でさえ知らないし、治療法も確立されていないわけです。(第三章、p111)

そうこうするうちに、麻原の家族に必ずしも従わない幹部も出てきて、2004年後半になってくると、二派に分かれた教団内部はかなり乱れ始めました。各地の支部も二つに割れました。(第三章、p133)

ただ、ひとつ加えなければいけないのは、広い意味では、まだ終わらせてもらえないということです。彼とのかかわりが。(第三章、p144)

出家の理由を、「『かもめのジョナサン』の心境になったから」と語ったと言いますから、要するに、オウム真理教の神秘宗教的なこと、超能力やヨーガといったことに共感していた。(第四章、p163)

若いころの麻原は、「私は救世主だ。救世主はないがしろにされるものだ」と逆ギレしている状態ですよね。自己価値の見方が誇大妄想的で、彼の卑屈を助長していった。その妄想を排除したいですね。(第四章、p176)

新興宗教は、価値のある自分でありたいという人々の欲求を満たしながら、「あなたは神に選ばれた存在」云々というスピリチュアルな部分を強調します。(第五章、p182)

私自身は、自分が悪人だと認識できない者は、大悪人になる可能性があると解釈しました。自分たちがなした暗部を自覚できないと、「事件が陰謀だ」という解釈で終わってしまう。(第五章、p184)

勝ち負けの社会に対して、勝ち負けの別のメジャー(尺度)を持ってきて、修行のステージで切って対抗して、そこでまた勝ち負けを作って、自分たちのなかで自己完結的な世界を作っていったのがオウム真理教ですよね。(第五章、p186)

お互いの悪いところをつぶし合い、いいところを盗み合う、そういった意味での競争は健全な思想なんじゃないかと思います。(第五章、p189)

わかりやすく言うと、多くの宗教というのは「誇大妄想的な自尊心を売るビジネス」ですね。完璧な情報ビジネス。(第五章、p210)

アレフを含む、元オウム真理教信者の面倒をみるのは上祐さんの仕事ではありません。社会の仕事です。社会のやり方がまずくて社会に戻れないのであれば、社会がそれを改めるべきで、上祐さんの問題ではないのです。(おわりに、p234)

dZERO新人HKのひとこと

 元オウム真理教幹部と、地下鉄サリン事件被害者の貴重な対談です。地下鉄サリン事件が起きた時、私は小学生だったので、あまり覚えていません。この対談を読んで事件のことを調べたら、日本でこのような化学兵器によるテロ攻撃が起き、多くの方が被害に遭われたと知って驚きました。
 著者である、さかはらあつし氏もその被害者のうちの一人であり、未だ後遺症に苦しめられていることに心が痛みます。そんな被害者のさかはら氏が、元オウム真理教幹部である上祐氏との対談に臨んだことには、強い意義があります。
 上祐氏は、元オウム真理教幹部であるため、教団内部のことを元信徒の目を通して知ることができました。教祖のことや、事件後の内部の様子。外からではなく内から語られるこれらのことは、貴重でしょう。
地下鉄サリン事件を風化させず、第二第三のオウム真理教が現れないことを切に願います。また、被害に遭われ、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。


おまけ

阪原淳企画・監督・出演・製作のドキュメンタリー映画「ME AND THE CULT LEADER」の予告編です。


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