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談志の日記1953 17歳の青春

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、最晩年「いずれ本になるだろう」と談志師匠が託した日記帳『談志の日記1953 17歳の青春』を紹介させていただきます。

没後10年特別企画!

概要

談志師匠が託した日記帳群の中で最も古い入門翌年の日記です。一流の落語家になることを夢見る17歳の「小よし」は、前座修行を続けながら一日も欠かさず日記帳に向かっていました。高度経済成長期に入ろうとする1953(昭和28)年に吹いていた風、季節の移り変わり、落語に対する思い、小さん師匠への敬愛、女学生へのあこがれ、繊細な心情がありのままつづられています。巻頭口絵には小よし時代の談志師匠の初出し写真を収載。

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著者紹介

著者は落語家であり、落語立川流家元の立川談志師匠。談志師匠は16歳で五代目柳家小さんに入門、前座名「小よし」を経て、18歳で二つ目となり「小ゑん」。27歳で真打ちに昇進し、「五代目立川談志」を襲名されています。また、1971年、参議院議員選挙に出馬し、全国区で当選、1977年まで国会議員をつとめられました。1983年、真打ち制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会され、落語立川流を創設し、家元となられました。2011年11月逝去(享年75)。


この作品のポイントと名言

今年は「鼻をなほし」「金をため」「噺もおぼへ」一生けん命やろうと思う。やはり女学生が気になる。又、それで良いのだろう。実に楽しい。(新年の所感、p7)

円生が三○○円くれた。えらいもんだ。協会一同から五○○円しみったれている。(一月、p13)

人形町で一○○円小さんに小遣をもらう。しかしその場でなくす。どう云うわけか自分でも解らない。その場で探すのも失礼だからよした。(一月、p19)

十一時に起きる。朝さんが来る。一緒に土手づたいに亀の子山へ。途中大田高の生徒がいる。セコトウスケばかりである。しかし溌として青春の息吹を感じる。スターリン重態。(三月、p45)

暑くなく寒くなく、実に良い時期だ。これで女がいれば申し分ないのであるんだが……。まあ金があるから落ちついたものである。この頃元気である。(四月、p76)

楽屋で圓鏡に小言を喰う。こっちは何も悪るい所はないと思うから感じない。何を云っているのか解らない。馬鹿な野郎である。(四月、p77)

恋をするとこんなに弱くなるものか。又あの一瞬実に清くきれいになるものか。初恋。(六月、p109)

自転車に乗っていたのでダメ。じれったい、淋しい。家にいられない。会ったら云うつもりだが、本当に、楽屋にいてもふと思ひ出し、顏がほてり、胸がわく。又淋しくなる。(六月、p109)

夜遊びがすぎてねむい。(八月、p137)

一度国際の舞台がふんでみたい。いやたしかにふまう。有名になろう。ショウのフン囲気にくらべて寄席のセコな事。(九月、p151)

寄席へ行って、何もいわずに帰る。動くのも、話すのもいやだ。しかし髙座へ出るとグットしまる。さすがは僕だ。(九月、p151)

金がない。働らかうか、学校へ行かうか。しかしもう遊んでくらす怠けぐせがついてしまった。恐ろしいものだ。もう抜けられない。他に職業が有っても。(九月、p154)

僕はもっと偉いんだ。もっとする事があるんだ。上へ上へと行く人間なのだ。(九月、p158)

噺がうまくなった。又陰気になる。心配しても始まらない。どうにかなるだろうから銀ブラをしたけれども、面白くも何ともない。やはり僕はうの木で、うの木の女学生と遊んでいるのが一番性に合っている。(九月、p163)

雨が降ったので席は大入り。これっきりもう女学生相手の恋愛ゴッコは出来ないのかしら。僕は満十七才。(九月、p163)

十七才でも僕にはもう青春は終りの様な気がする。さようなら女学生。女学生は永遠に僕の友であり、あこがれである。もう一度! 夢かも知れぬ。(十月、p168)

お髙くとまっていてやろう。表てえ出れば五分と五分、いや彼等と僕とは人種が違うのだ。見えをはって負けずに行くんだ。それでいいんだ。(十月、p179)

帰って風呂へ行ってさっぱりする。明日から出直しだ。この所キリン児もパットせず、縞馬くらいだから。(十一月、p189)

でも彼女は愛くるしい。男として女の欲している事をしてやらねばならないのか、してはいけないのか。僕には出来ない、初心なのだ。(十一月、p193)

小さんの会の奴らは伸公始め、皆シャクにさわっている。一席見事にやってすぐ帰る。ザマア見やがれ。(十一月、p203)

こういい事がつゞくときはきをつけねばならない。油断大敵ナリ。どうも小さんに小言を喰いそうで、あぶなくてしょうがない。忘年会で何をやろうかしら。(十二月、p223)

何か健気です……アレッ、前にもこう表現(かい)たっけ。でも、そうなんだもの、可愛いもの、偉いもの。何せ、御歳十六か十七のガキだぜ。(談志による一九九九年の追記、p240)


dZERO新人HKのひとこと

頁をめくるとそこには17歳の談志師匠の世界が広がっていました。読み進めるごとに、昭和の風が吹いてその時代に引きずり込まれます。卓越した文章を読んでいると、本当に17歳の少年がこれを書いたのだろうか? と思ってしまいます。すでに天才落語家である立川談志師匠の片鱗があちこちに表れています。
小さん師匠を慕う談志師匠がとても可愛らしく感じられます。素直につづられた女学生に対するあこがれや、中退した高校への思いを読んでいると、17歳の少年の繊細な心情がありありと浮かんで、甘酸っぱい気持ちにもなります。1日も欠かさずに書かれた日記を辿ると、談志師匠の目を通して青春時代を追っているような不思議な感覚にもなります。
私は昭和を生きたわけではないので、どういう時代だったのかまったくわからなかったのですが、談志師匠の目を通して昭和時代を追体験し、不思議と懐かしさを感じました。まるで談志師匠が降りてきたかのような、ノスタルジックな気分になりました。


おまけ


談志市場 

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