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日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、親に虐待された100人の元子どもが書いた 『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』を紹介させていただきます。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(トルストイ「アンナ・カレーニナ」)


概要

親からの虐待を生き延び、大人になったサバイバーから「親への手紙」を公募し、収録した作品です。応募作の中から選考された100人分の、親に対する赤裸々な気持ちがつづられています。

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著者紹介

フリーライター今一生氏が編集者として活動する際の名称が、Create Mediaです。今氏は、日本各地で「子ども虐待防止策イベント」などの講演会を開き、児童虐待をなくすための活動をされています。


この作品のポイント

日本ではまだ子どもの人権に対する関心があまりにも乏しく、子どもには自分が守っていい人権に目覚めるチャンスすら家庭や学校で与えられていないことに気付きました。(はじめに、p3)

20年待っても、多くの市民が本気で子ども虐待という深刻な社会的課題を根本的に解決したがらない。その現実を前に「本当にそれでいいの?」と問いかけたくて、本書を企画し、2017年春に手紙を新たに公募しました。(はじめに、p7)

成人しても、あなた方は迷惑を続けるので、摂食障害や複雑性PTSDに悩まされ、ギリギリ生きています。この手紙を治療の一環として書きました。頭の中からあなた方を追い出せるなら、追い出したい。(Ⅰ気付く、p21)

病気の時も「面倒だから」と病院に連れていかなかった。病状が進んでようやく病院へ行けたら、「わけのわからない病気にかかって医療費を払わせる金食い虫」と言い放った。(Ⅰ気付く、p26)

でも、私は人間。感情があります。笑いたくない時、泣きたい時だってあります。パニックした五歳の弟が泣き叫び、本やおもちゃを投げ飛ばし、あなたがどなって弟に馬乗りになり、首を絞めた時も、こわくて仕方なかった。(Ⅰ気付く、p33)

「今から一年間は保険が下りないから、自殺だけはするな。一年経ったら死んでもいい。だけど、事故死の方が高額になるから、死にたくなったら、夜、黒っぽい服を着て高そうな車の前に飛び出ろ」(Ⅰ気付く、p50)

援助交際を始めたのも、過食するお金がほしかっただけじゃない。うれしさや安心を感じたかったから。肥満で不細工で精神障害でも、求めてくれる人がいる。それを思うと生きてる実感がわいた。他に居場所が見いだせなかった。(Ⅰ気付く、p56)

人を信用できないことは非常につらい。しかし、アンタに関わらない人生を手に入れることができ、これを克服しながら幸せに生きていくと決めました。これからは旦那と子どもと一緒に歩んで、生き直しをしていきます。さようなら。(Ⅰ気付く、p68)

あなたは「自分の子どもにまさか人格があるとは」と真顔で言いました。最大限の苦痛を味わった末に、早く消えてください。私が生涯にわたって受け続けたメガトン級の苦痛に比べれば、ほんの小さなものですよ。(Ⅱ戦う、p72)

お母様へ。飯がない。あっても期限切れ。機嫌と隙を見て自炊しようとすりゃあ怒られ、アンタだけおいしそうな物を食い溜め。子どもが食うのは絶対ダメ。(Ⅱ戦う、p83)

親から与えられる服は、親戚の伯母さんや他の人のお下がりと「100均」の下着。夜に洗濯するからジメジメした服をいつも着て、みじめでした。産みの親は一度も温かい食事を作ってくれず、何も教えてくれなかった。(Ⅱ戦う、p90)

父の性器をなめさせられたこともあります。母が「なめたら済むでしょ」と言ってぺろっとなめたことが忘れられない。私は号泣して抵抗しましたが、父のどなり声と母のさとす声に負けました。思い返すと死にたくなります。(Ⅱ戦う、p106)

クソオヤジへ。末期がんだと聞いて「ざまぁ」って思いましたよ。何度も「会わせろ」と言ってるらしいけど、会ったら私は倒れて救急車でしょう。12歳でPTSD、アダルトチルドレンと診断され、今はパニック障害や双極性障害。(Ⅱ戦う、p115)

お父さんへ。これは、僕が留置所にいる時に書いた手紙です。僕が1、2歳だった頃、あなたは母の背中を日本刀で斬りつけました。(Ⅲ出会う、p131)

あなたは自分の思い通りにならないと怒り、ハエたたきなどで何度も何度も私を叩き、お皿を何枚も私に投げつけ、体に当てました。線香の火を手に押しつけ、髪の毛を引っ張って部屋を引きずり回したことも。(Ⅲ出会う、p145)

13歳の時に継母が不倫相手と家を出た後、私を毎晩のように犯し、子どもをおろさせたお父さん。お父さんの実の子なのに、性欲解消のダッチワイフでしかなかったの?(Ⅳ変わる、p186)

私は小学生から万引きで食いつないだ。15歳でアルバイトを始めたのは食費がほしいから。(Ⅳ変わる、p216)

良識あるひとたちが眉をひそめて断罪するという光景には慣れっこである。中には親への甘えだ、自立できないひとがこんなことを書くのだという批判もある。(Ⅳ変わる、p251)


dZERO新人HKのひとこと

 親から虐待されたつらい過去をつづられた勇気に拍手を送りたいです。100通りのつらさが、手紙からひしひしと伝わってきて、つい涙ぐんでしまいました。当たり前ですが、100人いれば100通りのそれぞれの思いがあり、それぞれの人生があります。これまでなのか、これからもなのか、親との関係に悩み苦しみ、必死で生きている方々の魂の叫びに圧倒されました。
 世の中には幸福な家庭もあれば、不幸な家庭もあります。どの家庭に、どんな親のもとに生まれるかは、子どもは選べません。たまたま、ひどい親のもとに生まれたせいで、虐待され、つらい人生を歩まなければならなくなった子どもも、たくさんいます。そんな子どもが救われる道があればいいのになと、率直に思いました。

おまけ

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』キャンペーンソング




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