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歴史に学ぶな

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、歴史とは何か? 歴史を学ぶとはいったいどういう意味を持つのかが述べられた『歴史に学ぶな』を紹介させていただきます。

真の意味で、歴史を学ぶとはどういうことか

概要

歴史的偉業としてとらえられている革命や維新も、見方を変えればテロリズムになる。学生時代に、歴史から学んだことから過激な学生運動に身を投じた鈴木氏の体験談が随所に語られています。現代の日本人の持つ歴史観は、真の歴史ではなく、司馬遼太郎の小説やドラマなどの影響が強く、それら創作物において歴史は正しく伝えられていません。美化された歴史から学ぶことの危うさを氏自身の体験から語られており、学ぶべきは歴史ではなく、個人の体験なのだと述べられています。メディアが紹介する、切り取られた歴史の一面ばかりでなく、汚い部分もある歴史の側面を見ることの大切さが語られています。

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著者紹介

著者は、政治活動家で「一水会」顧問の鈴木邦男氏。氏は1943年、福島県生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中に民族派学生組織「全国学生自治体連絡協議会」の初代委員長を務められ、卒業後は産経新聞社に勤務されました。1972年に新右翼団体「一水会」を結成し政治活動をはじめられ、1999年に代表を退き、顧問に就任されました。


この作品のポイントと名言

坂本龍馬が有名になったのは(という言い方もおかしいけれど)、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』がこの世に誕生してからだ。(序章、p10)

犯罪の歴史も男中心だった。かつては、同じ犯罪で男女が捕まった場合に、「女のほうは男にだまされて、引きずられてやったのだろう」とされ、男が有罪になっても女は釈放ということが多かったそうだ。(序章、p16)

僕らは、歴史を都合よく使って、自分を正当化する。歴史に触れるとき、それを意識するとしないとでは、大違いだ。(序章、p19)

歴史を描くだけではなく、歴史を文字通り作り上げた作家だ。日本人の歴史観に与えた影響は、どんな歴史家よりも大きい。それが、現在の人々が持つ歴史上の人物や出来事へのイメージにもつながっている。(第一章、p28)

戦国時代や幕末は、男たちが勇ましく、カッコよく戦った。女たちは内助の功で男たちを支えながら、自分の考えで行動し、生きていた。多くの人は、創作物からそんなイメージを持ってしまっている。(第一章、p32)

歴史も同じだ。一つ一つの事実は判明していても、解釈のしようはいくらでもある。その中から、自分の都合のいいように判断してしまう。(第一章、p42)

歴史に学ぶ、と言いながらその実、虚構に学んでいるのではないか。そして、そんなふうにできあがった虚構の歴史や格言に、皆が影響され、行動の規範とし、理想としてしまっているのではないか。(第一章、p43)

彼ら歴史上の英雄たちは、国のため、人々のために戦争を起こし、テロを起こし、人を殺してきた。小説の中の歴史は、そんな戦いや暴力、犯罪を肯定する。(第二章、p52)

死に場所があれば、そのあと何千年でも〈歴史〉に生きられる。「歴史は危うい」と言いながら、僕だって、今でもそのように考えてしまう。〈歴史〉にはそんな魔力がある。(第二章、p60)

あのオウム真理教だって、革命を起こそうとしていた。「ハルマゲドン」が起こると信じ、自分たちの邪魔になる人々を殺害し、武器を密造し、地下鉄サリン事件を起こした。(第二章、p66)

「一殺多生」も同じだ。これらは、テロや暴力を擁護するために、都合よくつかわれた言葉ではなかと思い始めた。(第二章、p75)

そもそも、世界中で賞賛され、僕らが目指していた歴史上の「革命」は、本当に人のためになったのか? 世の中が革命によってよくなったのだろうか?(第二章、p80)

だからもし日本に革命が起こっていたら、連合赤軍事件は賞賛されていたのではないか。「あれは必要な犠牲だった」と。「日本革命のおかげでわれわれはみんな幸せになれた。その前にちょっと尊い犠牲があったけれど」と。(第二章、p82)

でも歴史に縛られていては、人間の進歩はない。歴史をなぞって、「あのときのように、今こうするべきなんだ!」と考えては、世の中はよくならない。それこそ同じ間違いを犯してしまう。「歴史は繰り返す」だ。(第二章、p88)

民衆が軍部や政府を「戦え、やつらを倒せ」と炊きつけ、戦争を起こしたのだ。そんな熱狂の中、1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃した。日本軍は緒戦で華々しい戦禍を挙げた。国民はさらに熱狂した。(第三章、p110)

それなのに「亡くなった人のためにも戦わなくちゃいけない」と言ったほうが、まわりの人や今の国民に受けるから、言う。英霊を利用している。英霊に対する裏切り行為だとさえ言える。(第四章、p127)

そして、政治家がそれにつられて過激なことを言う。インターネットで喝采が起こる。さらにエスカレートする。新聞やテレビは報じないから、さらに過激になる。悪循環だ。(第四章、p131)

特攻による若者の死も「散華」と呼ばれた。特攻隊は、アメリカの軍艦に体当たりして死んだ。いや、体当たりすらさせてもらえず、撃墜されたり、海に激突したりした者が大多数だった。彼らの死は、「散華」と表現され、美化された。(第四章、p139)

見栄のよい部分だけが一人歩きし、歴史を歪める。その言葉が、そしてそれが人々を感化し、増幅し、「戦争だ」「愛国だ」という言葉の大合唱につながっていく。そんな世の中になろうとしている。(第四章、p140)

今の時代に発せられる「戦争」「愛国」という言葉と、戦争体験者が言う「戦争」「愛国」。言葉は同じでも、別のものだ。断絶している。(第四章、p146)

日本が失敗し、負けた歴史をきちんと学ぶ。「日本失敗史」から、教訓を得るのだ。(第五章、p157)

「こういう本を読んでいる人は、こっちの意見の本も読んだらいいですよ」と、まったく正反対の本を紹介すればいいと思う。そうやって自分のなかの失敗や過ちに気づき、どんどん世界を広げていく。すると人間も豊かになる。(第五章、p174)

dZERO新人HKのひとこと

『歴史から学ぶな』とは、歴史から学べという言葉をよく聞くためか、随分と過激なタイトルだなと思いました。しかし読み進めていくうちに、どうして歴史から学んではいけないのかが分かって来ました。この作品の中でも書かれているように、私の歴史観も、ありのままを伝える事実としての歴史ではなく、創作物として美化された歴史から学んだものでした。私も幕末志士やチェ・ゲバラなどの革命家が好きで、赤軍連合のことは総括や山岳ベース事件を起こしたテロリストだと思っていました。けれど、それは単に革命家は勝者になったから賛美されているだけで、赤軍連合は敗者になったから犯罪者扱いされているだけです。やっていることはどちらも同じです。赤軍連合も革命に成功していたら、今頃は現代日本を作った英雄になっていたことでしょう。ナポレオンやチンギス・ハンも見方を変えれば大量虐殺者です。学ぶべきは、切り取られた歴史ではないのだということが、この作品を読めば理解できるでしょう。

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