神様お願い、小骨トモさんを有名にしてください
ダメなら学校を燃やしてください。
不登校児の星、小骨トモさんの単行本
「神様お願い」
が発売されました。発売が決定してすぐにしっかり予約したので、今日届きました!
Webアクションに掲載された
藤田の生首
スモウちゃんにさようなら
アブラゼミ
神様お願い
の四作と、今回が初公開の
ファーストアルバム
が収録されている。
最初に小骨トモさんの漫画を読んだのは「酒焼けの詩」という作品だった。
生涯ダメ男が決定的であろうロン毛のアル中が誰より傷つけて、世話になっていた母の葬儀にやって来てベロッベロになっている……という酷い有様を、ぐにゃぐにゃの目つきと輪郭を描いてて、凄いな、いいな、と惚れ込んでしまったのが始まりで。
そのあとヤングマガジンの読み切りになった「夜の背」という作品も良くって、ホントにこの人はダメ男とかクズ男を描くだけじゃなく、それがダメならダメ、クズならクズであるゆえんを遠慮なく描き上げてて。そこが凄く好きだった。
かつては日記のようにnoteを書いていて、それもよく読んでいた。
エロであるとかスケベであることに対しても真面目で、自分がどうにも世の中と折り合いが付けづらいことなども包み隠さず、しかし読者には寂しそうに媚びつつ書いている。この人は文章も漫画も面白い。文章、つまり筋立てが面白くて、絵柄が独特で、ちょっと人が描かないようなことを描き出して刺しに来る。
広めて被せて包んでくるのではなく、袈裟懸けに切り捨てるか心臓をひと突きにされるか。ヒリヒリするような緊張感と不安と、後悔と、嫌な思い出と、それが拭い去れず今日また生きていることへの焦燥や苛立ち、嘆き……そしてほんの些細な救いと光。小骨トモさんの漫画はそういうものが結晶化した、鬱屈とした心を具現化した鍾乳洞みたいなもので。
この単行本は、その一つの集大成にして分水嶺だと思う。
一つ一つアレコレ書くのも無粋なので、今でもwebアクションで読める
「スモウちゃんにさようなら」
を一つご紹介……。
思うことを書くだけ書いたので長くなっちゃった……昔、学校が嫌だったり担任が嫌いだったり、ちょっと嫌なことをされた人で、マンガを読む余裕のある人は是非ご覧になって観るといいと思う。
少なくとも救いのない話ではないし、スモウちゃんにさようならを読んで小骨トモさんの漫画が良いなと思ったら、コミックスを買って損は無いと思います。
不安定で沈みがちな情緒、寂しいし切ないし、嫌なことや生きづらさが浮き上がりがちな作風とイメージだけど、そこに居心地の良さとか、小さな救いの光、ここでなら生きられるという安心感がある作品もあります。
でスモウちゃんにさようなら。
小学生の頃、それも発育が早かったり急に来たりしてクラスの他の連中より、ちょっとデカくなったり変化が出て来た時に。いやな思いをした人っていると思うんだ。
で味方になってくれるはずの身近な大人が、全然テメエのことばかり考えて、テメエの思う通りにしか行動しないし、他人もそうやってコントロールしようとする奴だったら。
最悪だよな。子供ってのはホント、特に多感になり始めの小学校高学年なんて、その狭い教室と校庭の空だけが世界の全てみたいな時あるじゃん。
テレビやラジオ、ゲーム、ネット。近所の人、公園、店、駅、高速道路、新幹線。
世界に繋がる場所は沢山あるけど、生きている世界が、その狭い場所だけっていう状況で。その「クラスの連中」から逸脱して、イビツになって、オトナに利用されている。
スモウちゃんにさようなら、の主人公、スオウワカバちゃんは、そういう立場だ。
担任の若い男、小林はニコニコして耳に聞こえのいい言葉ばかり吐くが、自分に都合のいい答えを得るためにそうしているだけの自己中心的なクズだ。思い通りにならない奴のことは心の中で罵倒し、子供たちのことも無意識のうちに軽蔑し、自分が優位になって物事を進め、尊敬されることだけを求めている。
ワカバちゃんはスオウという名字をもじって、スモウちゃんと呼ばれている。クラスのみんなより発育がよく、それが早かったからだ。それは大人になればそういうものだろう、恥じたりからかったりするものではないと思うけれど、子供というのは何も考えていない割には残酷で。ナメクジを潰すのも、他人を笑うのも、何の躊躇もなく出来てしまう。
そういう無邪気と言えば無邪気な、非常に敏感で難しいと言えば難しい年頃の子供に対して、一方で別のクラスの若い女性教師・藤田はどうしたら生徒のために、保護者のためになれるかと日々悩みながら教師を続けていた。
ワカバちゃんは藤田と出会い、小林に感じていた違和感に気付く。
先生だけが味方だろ、かばってやっただろ?守ってやるからな?
その言葉の奥底から垂れて来た劣情と、善意や親切でフタをした悪意と軽蔑。
この人は、小林先生は自分の味方なんかじゃない。じゃあなんで、そんなに私を守りたいなら、この人は私のことを
スモウワカバ
などと呼ぶのだろうか。
それでこの物語が終わる。
味方は外にちゃんといる。こいつは違う。それに気付けるかどうか、は、人生の早いうちに来るタイプのトラウマと暗黒期を避けたり、出来る限り軽くしたりする最大のヒントでありチャンスだ。
自分も不登校児の星(スター)ならぬ豚(ブター)だったのでよくわかる。
親切なことを言うようで無責任で軽薄な連中もいれば、ホントに心配して、時には叱り飛ばしてくれる人も居た。
ワカバちゃんの、そのジュブナイルの萌芽が芽生えたところで終わるこの漫画は小骨トモさんの体験も入っているそうで。
子供の頃の自分が閉じ込められていた、狭く小さな窓と空と世界から解き放ってくれるような。共感や嫌な汗、ゾワゾワと蘇って来る記憶がやがて漫画の世界に溶けて、一緒にパタンと閉じてしまえるような。そんないい漫画です。
小学生というのは、自分じゃどんなにイキって背伸びしても雛鳥のようなもので。だけど小さな、一羽の鳥であることは変わりなくて。
それがやがて、狭い校舎や校庭の空から飛び立っていけるように、自由な飛び方を忘れないように、そして羽を休めることを躊躇わないように。そんな風に育っていけたらいいと思う。
小さな、そして自由な鳥であるからこそ、自分を変えることは誰にも出来ないし、自分は自分であり続けることしか出来ない。
アメリカのLynyrd Skynyrdってバンドが、ヒット曲「Freebird」の中でそんなことを歌っている。
力が弱くて立場の選べない人間を、自分の思い通りにしようとする奴が居たとして。
この漫画のような救いがあるとは限らないけど、救いのある物語が溶かしてくれた心の氷が、いつか水になって流れて行って、気持ちが少しでも暖かくなることは、あるんじゃないかと思う。
小骨トモさんの漫画は、他にも嫌な汗、蒸し暑い夏、小さく狭い人間関係、ダメな大人、寂しい心が隠せないままはみ出したり転び出たり、干乾しになっていたりする。
それが沢山の人に届いて、コミックスになって欲しいと言われて、実際に発売された。みんな幸せな漫画だとか、キレイで正しい物語が欲しいだけじゃないんだ。
泥水に浸かって体を洗う動物のように、汚れが穢れを払うことだってあるんだと思う。
そんな思いが集まって出来上がったこの本は、ちょっと暗いけど幸せな誕生日に祝福されて産まれた本なのだろう。
小骨トモさん、おめでとう。
神様お願い、この人をもっともっと有名にしてください。
表題作の神様お願い、も凄いぞ。汗と思春期と腋毛とスケベが煮凝りになって、鬱屈を学生服に閉じ込めてせいろで蒸してるような漫画だけど、最後にフタをパカっと開けて、その蒸気がホワーーっと抜けてくような展開は圧巻だった。
ファーストアルバムは、似た者同士が年の離れた、血の繋がらない父子という真っすぐねじれた道の先で初めて友達になれた瞬間のために描かれた作品で、これも素晴らしかった。
嫌いだ、ざまあみろ、どいつもこいつも。
ねじれた根性でそんな風に思ってたのが、真っすぐな瞳に見つめられて変わってゆく様が描かれている。最後、ぐじゃぐじゃの線だけになったところから、現実が戻るまでの、長くてあっという間の時間は、胸が苦しくなるぐらい、気持ちの奥底にドスンと響く。
不登校、はみ出し者、血のつながらない父親、と私には刺さる属性が多いというだけではなく。むしろ、そうじゃなく、たまたまコレを手に取ったりネットで見た人が、忘れられない絵柄と物語になるんじゃないかなと思う。
小骨トモさんには、そんなパワーがきっとある。今からきっともっと身に付く。
不登校児の星を見上げる、沢山の、あの頃の雛鳥があなたの活躍を願っている。
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