実話怪談「瑠璃色の蝶」

 近在では豪傑として知られたウチのバア様ことノリコさんは霊感というハッキリしたモノこそ無かったが、妙な勘の鋭さだとか、物事を見抜く力みたいなものは人一倍あった。
 そんな気風の良さと恰幅の良さを併せ持つ豪傑ノリコさんの心霊体験っぽいものを幾つか、生前に聞かせてもらっていた。

 たとえば晩年に差し掛かるころ、長年の不摂生がたたっての糖尿病も脳梗塞も心筋梗塞もなんのそので食いたい放題食っていたので合併症が酷くなり、入退院を繰り返す羽目になってしまった時期の、ある夜のこと。
 病院の廊下を「人の形をした黒いなにか」が、じめっぽく焦げ臭いような嫌な臭いをばらまきながらずるずると歩いて行って、そいつが遂に立ち止まった部屋の人が翌朝になると必ず亡くなっているということが何度かあったと言っていた。
 建て替わったばかりで真新しく明るい色調で整えられた市民病院の綺麗な病室、廊下を、そんな得体の知れないものが跋扈しているとは思いにくかったが、ノリコさんが言うなら多分そうだったのだろう。

 そしてもっと不思議なものを見た話もしてくれた。
 それはノリコさんいわく
「瑠璃色の蝶」
 だったという。この美しい、大きさや模様はアゲハ蝶によく似た蝶が病室の窓の外を、昼と言わず夜と言わずひらひら舞い上がって虚空に消える。すると、やはり必ず誰かが亡くなるのだという。これは昔から見えていたようで、赤の他人ばかりではなく、ウチの曽爺さん(ノリコさんのお父さん)が亡くなる寸前にも見たのだと。

 ある日、仕事が終わってから婆さんのお見舞いに行った。
 7階のカドっこにある広いデールームはがらんとしていて、点けっぱなしのテレビの音だけがやいのやいの騒いでいた。婆さんは点滴をカラカラ鳴らして引いてきて、ソファに腰掛けて窓を見るなり
「あっ、飛んどるじゃん!」(三河弁)
 と指を差した。振向いた先に広がる街の灯り。
「また蝶々が飛んでったに、ほい」(三河弁)
 ノリコさんはそういうが、私には何も見えなかった。
 そのあと誰か亡くなったのかどうかは、聞かなかったと思う。

 やがて年月が流れ、2009年のクリスマスの夜。ノリコさんは自宅で突然倒れると同時に物凄いいびきをかきながら痙攣を起こして救急搬送。
 そのまま死ぬまで我が家に帰ることは無く、搬送先の市民病院から近所の町医者を経て、郊外の老人保健施設に落ち着いた。
 認知症のほか各種色んな持病があるために、中々受け入れ先が見つからなかった。
 近所の町医者のEさんが、長年のよしみで受け入れ先が見つかるまで色々と協力してくれた。

 そうして入った施設には、症状が重い人の入る格子や何重にもドアのある病棟と、比較的落ち着いた人の入るマンションのようなホームがあった。
 ノリコさんは初め病棟に入り、その後マンションに移って暫くは穏やかに暮らしていた。
 認知症の為か古い記憶だけが残り、新しい情報は殆ど入らなくなってしまった。
 昔の記憶や出来事を混同しており、居るはずのない親戚やとうに亡くなった知人と会う約束をしていると言って聞かないなんてことも多々あった。

 そんな中でも私の名前や顔は忘れずに居てくれたようで、私も月に1度や2度は必ず見舞いに行っていた。
 マンションの方に居る間は、なつかしい記憶の中で幸せに暮らしているようだった。そんなノリコさんが、再び病状が悪化し病棟に戻ったとき。
 見舞いに行った私を見るや、ベッドに寝た切りになったノリコさんが言った。
「ほい、見ん(三河弁で見ろ、という意味)! そこに、蝶々! 蝶々が飛んどるに! ほい……!」
 見てみん! と三河弁でまくし立てながらノリコさんが指差したのは、格子と曇りガラスのはめ殺された窓の外ではなく、自分が寝転んでいる真上の天井だった。

その翌日の朝。ノリコさんは静かに、帰らぬ人となった。
あの時、ノリコさんには見えていたのだ。
死を待つ人を誘う瑠璃色の蝶が。

おしまい。

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