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Silver Days Devotion.

 愛することも、愛されることも叶わないならば、せめて邪魔にならないようにしたい。

 細く曲がりくねった半透明のチューブのなかを満ち満ちて流れてゆく、蛍光グリーンの溶液。その流れに浮かぶ大小のあぶくたち。ひとつひとつに閉じ込めた情緒と風景の記憶がゼロの乱気流に飲み込まれ消えてゆく。
 僕は延髄に深々と刺さったチューブに繋がれて、蛍光グリーンのあぶくを循環させて夢を見る。

 白く、埃っぽいコンクリートの街角。黒く細いフェンスには、おそらく無許可営業の露店が並べた色とりどりの雑誌がずらりと並び、ぶら下がる。木陰に座り込んで小さなビンのセルベッサを傾けながら、口髭の痩せた男が気だるい顔で店番をしている。

  Box y Luchaをくれ。

 僕はカタコトのスペイン語と共に髭の店番にペソ紙幣を手渡した。店番は不愛想極まりなく、無表情という言葉ごと氷漬けにしたような顔で、僕に雑誌を半ば投げ渡すように寄越してくれた。何故か僕のほうが愛想よく「グラシアース」と言い、買ったばかりの雑誌を後生大事に抱えて木陰の無許可露店本屋から立ち去った。

 街も道も僕もジリジリと悪意を持って照らしつける太陽が、まさに陽射しというべき鋭く凶暴な光をさらに増幅させている。時刻は午前11時。もはや気温は30度を軽く超えているが、高度2000メートルに位置するナウカルパンの街は湿度が低いため、さっきの髭オヤジみたいに日陰に居れば意外と過ごせるものなのだ。
 実際、僕のいる寮にエアコンは設置されていなかったが、真昼であってもそれが苦になったことは無かったし、むしろ夜は冷え込むため窓を閉めて寝ていたぐらいだった。

 雑誌を片手に照り付ける太陽の下、異国の交差点で信号待ちをしている。
 目の前の埃っぽい道路を御世辞にも綺麗とは言えないクルマたちが不完全燃焼したまま走り去ってゆく。ガルルルルン、と明らかに調子の悪そうな音を立てて赤信号で停まったクルマの窓に、ぼんやりと突っ立っている僕の顔がうつっている。

 なあんだ。人間、やることなんて日本もココも変わりはしねえな。

 雑誌を持ったまま街角の交差点で信号待ちと来たもんだ。異国だろうが母国だろうが赤信号は止まれだし、青信号は進めだし。赤信号でも進めとばかりに交差点を突っ切って行くのは、母国でも僕の故郷・愛知県の名古屋市ぐらいのもんだ。

 信号がRojoからAzulに変わる。空の色はCeleste.で雲がモクモク。
 この先の坂道の向こうに並ぶ低く赤茶けた屋根の遥か上空に覆い被さるように暗い色をした雲が押し寄せてきて、あっという間にギラつく太陽も、悪意のこもった陽射しも、生ぬるい風も押しやってしまい冷めた風が往来を闊歩する。
 さっきまで露店を拡げて井戸端会議と洒落込んでいた人々も、木陰で寝転んでいた人も、あの本屋の髭のセニョールも姿を隠し、道路にはクルマすら見えなくなった。

 ああ。目の前に大粒の雨のカーテンが見える。それも全速力でコッチに向かって突っ走って来る分厚いやつだ。信じられない程の質量を持つ雨粒が、太陽光線と同じぐらいの悪意を持って降り注ぐ。
 今まさに足元を濡らし始めた一瞬の小雨が、もう瞬きする間に大雨に。大雨だと思った瞬間には土砂降りになっている。
 うわっ、と思う間もなく全身くまなくずぶ濡れになり、まるで立ったまま溺れそうになっているみたいな状態で驟雨のなかを立ち尽くしていた。その僕のそばを片方だけハイビームにしたクルマが(もう片方のライトは壊れているらしい)亀が泳ぐようにのったりと走ってゆく。

 雨粒に圧し潰されそうな僕が角っこの雑貨屋のショーウィンドウにうつっている。それが雨粒のなかに逆さまになって、無数の僕が地面に向かって落ちてゆく。やがてそれが排水溝を伝って下水道に流れ込み、幾つもの大きな太い水道管から雨水槽に集積され、清缶剤と脱酸剤を加えられて攪拌されたものが、ポンプに繋がったチューブを伝って暗闇の中を圧送されてゆく。蛍光グリーンのぼんやりした光を放ちながら。

 ゼロの乱気流が巻き起こしたスコールがやがて何事もなかったかのように過ぎ去って、ずぶ濡れの僕だけが記憶の中の街角で銀色の日々をいつまでも過ごしている。

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