天浜線の転車台2.

お昼は天竜二俣駅に隣接…いやもう駅構内と同居?って感じなのか。
ホームラン軒さん。

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昔ながらのラーメン屋さんである。
昨今は感染予防からお昼のみの営業、さらに表の帳面に記名して、順番で呼んでもらうシステムになっているようだった。
私もそこにお名前を書くも、呼ばれるまで何人か並んでいる。良く見渡すと、その辺で所在なさげにしている人たちが結構いる。あれみんなラーメン待ちか。なるほど。

呼ばれたら聞こえそうな範囲で(おかみさんが良く通る声で呼んでくれるが、時節柄大声も出しにくいわけで…)ぶらぶら見学。文化財ってことなので、古い設備や施設も残されている。保存されるのは良いけど維持管理は大変だろうし、前に伊集院光さんのラジオで富岡製糸場かどっか、文化財になっちゃったから改修やリフォームが出来ないって話も聞いた。文化財にするくらいならケツ持ってやれよな文化庁(文化庁の管轄なのか?文化財ってぐらいだし)

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呼ばれてお店に入ると、これまた昔ながらの、お座敷とカウンターとテーブル席のあるラーメン屋さん。カウンターは窓に面してて、駅の外が見える。外側の壁に天竜浜名湖鉄道の路線図を模した塗装があるんでみんなコッチを見ている。

私が頼んだのは
ホームラン
という、通常のラーメン3玉を使った巨大なラーメン。フツーのドンブリと比べると、とんでもない大きさをしているのがわかる。

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そして明らかに、ホームラン軒さんのラーメン1玉は、並のラーメン屋さんの1玉よりデカい。幾ら麺を多く見せても、お箸を入れればすぐにわかる。麺がスープの中でほどけて、軽いのだ。が、ホームラン軒さんのラーメンは、麺の束にお箸を差し込んでもそのまままっすぐ立つぐらい密度が濃い。

眠りは質量のない砂糖菓子、というものの(おっ、装甲騎兵!?)このラーメンの質量の濃い炭水化物ぶりは、まさに赫奕たる異端。
しかも美味しい。フツーの醬油ラーメンなんだけど、これが飽きの来ない味で。一緒に頼んだ焼き餃子も美味しくてねえ。
特別なことはないんだけど、こういうお店がなくなっちゃうのはホント困る!って思う味。餃子についてる、ニンニクと唐辛子を練った味噌をラーメンにもちょいと落としてみたり、コショウを入れてみたり。少しずつ味を変えつつ完食。もっと早く食べに来たら良かった。美味しかったなあ。メニューも豊富で、味噌も塩も豚骨もあるし、醬油ラーメンだけでもバリエーションがある。
おやっさんと女将さんが二人で切り盛りする、ホームラン軒さん。おすすめです。

でラーメンでお腹を満たし、雨が降って来たのですぐ近くの百円ショップで傘を買う。これがまたデカくて品ぞろえがいい。なんか久しぶりに百円ショップに入ったけど、元々あった大きなお店に居抜きで入ったらしく、レンタル屋さんとか本屋さんとか、もしくは紳士服店とかかなあー。こういうところに百円ショップが入ることすらも、豊橋じゃ減ったからねえ。今じゃ潰して駐車場ばかりですよ。

ホントにね、ウチの近所で建物がなくなると、店でも家でも、全部駐車場。何かこう、住むより営業するよりクルマを停めとく方が有意な場所に私ゃ住んでるのかと思うとフクザツな気持ちにもなる。
高いし、それでも。この辺の駐車場。

で、ツアーの時間まで駅周辺の公園にそれぞれ置かれた鉄道車両や蒸気機関車を見て回る。

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駅の向かいの機関車はC58というやつ。蒸気機関車っても色々でCとかDとかFとかある。車輪の数をCDEF(Aから数えて3番目4番目)って数えるとか、Cが客車でDが貨物車とか色々あるけど、どうなんだろう?

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物知りで鉄道や自動車大好きの祖父が生前、聞かせてくれてたはずなんだけど忘れてしまった。爺ちゃんゴメン。

さらに天竜二俣駅に隣接する天竜二俣駅西広場には、

ブルートレイン「あさかぜ」のB寝台車(ナハネ20347)

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や、

国鉄時代のキハ20443

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が展示されている。というか、静かな余生を過ごすためにココに安置されている。形式、よくあるキハとかクモハとかダダとかゴモラの(オイ後半二つは違わねえか)読み方の解説や車両の説明の看板もある。

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天竜レトロ・トレインクラブさんの活動により保存されているとのことなので、是非皆さんもご参照ください。
https://trtcweb.blogspot.com/p/index.html
URLはコチラ

さて駅の隣にある、天竜区観光協会さんの事務所にお邪魔してみる。というか何となくポスターやパンフレットでも見ようかと行ってみたら、手指消毒やアクリル板、マスクと時節柄の対策もされてて、おじさんとおじいさんの間ぐらいの男性職員さんがひとり。人当たりのいい人で、どちらから?と尋ねられたので豊橋からですと答えると、なんと天浜線は昔、豊橋まで続いていたという。
というのも国鉄時代、今の天浜線は二俣線と呼ばれる国鉄の路線だった。さらに言えば戦時中は東海道本線のバイパスとして使われており、実際に戦車やら資材を運んでいたそうな。
で、この天浜線は東海道本線のバイパスだった、というのは私も祖父から聞いて知っていた。でも、豊橋から伸びてたのは知らなかった。
長年、新所原から掛川じゃバイパスっても不便だなあ、くらいに思ってたのだが、なるほどそういうわけなのか。
民営化された時に国鉄から切り離され、第三セクター鉄道として継続されている。豊橋から新所原が何故オミットされちゃったかまでは、聞くのを忘れた。
別に調べなかっただけのことなのだが、新たな知識を直接、生き字引の人から聞けたり、長年の疑問が解けたりと、いい時間を過ごせた。こんな時節じゃなければ、もっとこのおじさんと話がしたかった。私のおじいちゃんが近隣の鉄道や道路を含めた郷土史に明るい人だったので、こういう話は大好きなのだ。
長話をするには気が引ける時代で嫌になるね……観光協会のおじさん、ありがとうございます。

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