短編怪談・仮眠する幽霊
とある地方都市のごみ焼却施設でエンジニアをやっていた、Nさんという方から聞いた話。
今から5年ほど前。そこに勤めていた武藤さんという方が急病で亡くなられたそうで。武藤さんはNさんとほぼ同期入社のベテランで、亡くなられた当時は五十代前半。まだまだ働き盛りだったうえ、仕事は真面目で人当たりもよく、同僚や若手、施設の事務方からも慕われていたとのこと。
小柄で華奢な体型に角刈り、銀縁の眼鏡。真面目なおじさんを絵に描いたような人だった。
もともと持病があったとはいえ、突然の訃報にみんな深い悲しみを味わっていた、そんな矢先。
ある日の夜勤者が夜間に見回りをしていると不意にカンカンと靴音がして、誰かが階段を降りて来るのが見えた。焼却炉のある現場の床は2階から5階まで全部、グレーチングといって縦長の格子状になった鉄の板が渡してあるんだけれど、自分のいる2階の床から見上げた先、4階の床に誰かの靴底が見える。
会社で支給される黒い安全靴なので見た目はみんな一緒なんだけど、自分以外の作業員3名は監視室でモニターを見ている1名と、あとの2名は仮眠に行く時間のはず。
何かあって現場に出たのかな、と自分もその足音を聞いて階段の方に向かってゆく。タンタンタン、と階段を昇ってみたけど、誰も降りてこない。それどころか4階に行っても誰も居ない。無線機で
「監視室、どうぞ。いま誰か現場に居る? 何かあった?」
と聞いても
「いや、俺はココだよ。ふたりは仮眠に行ったばかりでまだ起きてるだろうから、仮眠室に行ってみたら?」
と言われてしまった。仕方がないので様子を見に行ってみると、仮眠に行ったふたりは案の定まだ寝付いておらず、現場にも出ていないという。
武藤さんが見に来てるんじゃないか?
よせよ!
なんて言って、その日はそれで終わった。
だけど。何日かすると、また別の人が夜中に足音がする、と言い出した。すると別の班からも、階段を降りて来る靴だけが見えて、誰も居ないんだという人が出た。
おいおい、幽霊のくせにご丁寧に安全靴なんか履いてるのか?
武藤さんらしいや。死んでも現場に出る時はちゃんと安全靴なんだから。
みんな茶化しているのは怖いというより、武藤さんならいいのにな。と心の何処かで思っていたから。そのぐらい、好かれている人だった。
武藤さん、ここの現場が心配なのかな。気になって見に来てくれてるんだろうか……。誰もがそう思った、その日の夜勤がNさんだった。
あんな話をみんなでしたものだから、夜中の見回りするのも薄気味悪くてたまらない。武藤さんが居なくなっちゃったのは寂しいし、化けて出てくれるんでも武藤さんなら別に構わない。だけど、本当に彼だとは限らないし、そもそも本当にそんなことが──
カン、カン、カン……。
来た! 誰かがグレーチングの床を歩いている。安全靴の重たい爪先で歩いている時の、あの独特の甲高く乾いた足音がする。
みんなの話と同じだ。自分が2階にいる時に、誰かが4階の床を歩き回っている。Nさんがヘルメットに付けたヘッドライトを点けて上を向くと、グレーチングの隙間から確かに靴底らしき黒いものが見える。
「む、武藤さん……!?」
Nさんは思わず階段を昇りながら、そう呼び掛けてしまった。もし本当に武藤さんなら、最後にお別れぐらい言いたかった。同期入社で、同じ班になったこともあるし、何十年もいっしょに働いてきた。なんにも言わずに逝ってしまうなんて、真面目な武藤さんらしくないじゃないか……。
黄色と黒のトラ模様のテープが張られたグレーチングの階段をカンカンカンカンと足早に昇る。焼却炉と、それに付随する大小さまざまな機械類が唸りを上げて熱を出す。
4階まで昇って来た。だけど、やっぱりそこには誰も居ない。
はずだった。
目の前に、居る筈の無い人が青白い顔をして、ぼうっと突っ立っていた。
「武藤さん……」
小柄で華奢な体型に角刈り、銀縁の眼鏡。真面目なおじさんを絵に描いたような人が、生前と全く変わらない姿でそこに居た。顔色だけが青白く、あとは作業服も安全靴も、ヘルメットまできちんと身に着けている。
武藤さんはNさんの呼びかけにも答えず黙ったままで眼鏡の奥の瞳はどこかあらぬ方向を見つめているようだった。
Nさんはあんなに会いたかった武藤さんを眼前にして、やはり言い知れぬ恐怖のようなものがはらわたから頭のてっぺんまで充満してしまって、それ以上は何も言えなかった。
どれぐらいの時間が流れただろう。Nさんと武藤さんは轟音の響く現場で向かい合ったまま、じっと立ち尽くしていた。そして急に、Nさんは武藤さんが気の毒に、かわいそうに思えてしまった。死んでも現場に出ることなんてないじゃないか。せめて今夜はもう、ゆっくり休んでくれよ……そう願って、腹も喉も唇も震えてしまいながらも、かろうじてひとことだけ。
「む、武藤さん。仮眠の時間だよ、休んでおいでよ」
と、言った。
すると一瞬、機械類のゴォーっという音が耳から遠ざかりながら近づいてきて、その刹那に青白い顔をした武藤さんがすーっと歩き出した。そして自分の背後をすり抜けて、
カン、カン、カン……。
と階段を降りて行く音が聞こえた。
そののち、不意に轟音が耳元に戻って来て身体の震えも止まって、Nさんは見回りを切り上げて一目散に監視室へ戻るやいなや、モニターの前に居た同僚に捲し立てた。
「い、居たよ。武藤さんだった……4階のボイラブロー弁のとこに、青っ白(ちろ)い顔して立っててさ。それでなんにも言わないんだよ。だけどさ、俺が」
そこまで一気に話したところで、仮眠室に居たふたりが真っ青な顔で監視室に飛び込んで来た。
「い、い、いま武藤さんが仮眠室に来た!!」
「ガチャって音がしてさ。見たら武藤さんなんだよ!」
「なんで幽霊が仮眠なんかするんだよ!」
Nさんは本当に武藤さんが仮眠室に向かったことに驚きつつも、申し訳なさそうに切り出した。
「ごめん、俺がもう仮眠の時間だよ、って言ったんだ。いま」
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