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全て自分に返ってくるから心地よく。

2020年が、幕を閉じようとしている。

12/30 15:04  知多市 気温11℃

買ったばかりのピカピカアップルウォッチが丁寧に正確に日付と時間と気温を教えてくれた。私は今、生まれ育った町、愛知県知多市のイトーヨーカドー前のガストにいる。コロナの中、帰省しているというよくわからない罪悪感と共に。ドリンクBARの当たり障りのない味のアールグレーティー、処理しなきゃいけない領収書の山を机に並べてこれを綴っている。地元のファミレスってなんか不思議な感覚がする。もしかしたら、同級生が家族でよく来るファミレスかもしれないなとか、わりとどうでもいいことを考えた。このガスト学生の時に来たことあったかな。うまく思い出せないや。うん、本当にどうでもいいな。

久しぶりのコラッセイという名の振り返り。

書くのが好きで、言葉が好きで、コラムが好きでエッセイが好きで、去年の10月からはコラムとエッセイをかけてコラッセイっていうのを産み出して半年間毎日書いていた。でも今年の6月くらいからは、東京の白金で新しく場所を持って、お店もオープンさせたこともあってコラッセイが滞っていた。お店はカタチを変え、また息を吹き返すスタートに建っている。で、今こうして1人でゆっくりとコラッセイを綴っている。そしたらやれやれ、、だなって。なんと言っても、もう2020年今年が終わるんだ。

いやーぁ。今年を振り返ると今この文章をこうして打っているだけで、目の前が霞むほど(ウソじゃない)私にとってはしんどい年だった。2019年もそうだったんだけど。今年は相当しんどかった。もちろん、2020年は世界的に苦しんだ一年だったし、それは私がここで言葉にすることではないけど。私は個人的にもコロナは関係なく2020年相当苦しんだ。

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心が破裂するほど泣き叫んだ。

全てがどうでもよく思えた。もうどうにでもなれと思ったし、私の人生どうなってるんだろうと本気で自分の人生を呪いたくなった。何でこんなに苦しいことが次から次へ襲ってくるんだろうって、。私そんなに悪いことしただろうか、、。何をしていても「楽しい」と思えることは皆無で、もう2度とやらないと心に決めていた重労働の繰り返しの日々とこれからへの絶望感。枯渇するってこんな感じなんだと思った。スーパーまで買い出しに行く時、目の前を歩く優しそうなお父さんと手を繋いでいる3歳くらいの女のコを見て、本気でこの子になりたいと思った。目の前を歩く幸せそうなカップルに生卵をぶつけたいような気持ちになった苦笑。もはや訳がわからない。

時間が経ってやっとこれらの全てから開放されて、何が一番しんどかったんだろう?私を苦しめたものは何だったんだろう?ってようやく冷静にあの時のことが考えられるようになってこのしんどさの根源のことを考えてみた。


しんどさの根源

この世界からいなくなって欲しいと
本気で願われた念みたいなものを何度も感じたこと



しんどさの根源これなんじゃないかって思った。確かに重労働とこれからへの不安はあったし、それに押しつぶされそうになっていたんだけど

「念みたいなもの」

何よりもそれを感じたことがしんどかった。念みたいなものは、あくまでも念みたいなものだから、もちろん目に見えない。でも目に見えないからこそ、波動とかエネルギーを持ってそれらは伝わってくる。そしてそれは酷く私を憂鬱にさせ、ひどく私を痛めつけた。アイスピックで静かにゆっくり何度も身体のあちこちを刺されているようなそんな感じ。他人からここまでの念を受けたのは、人生ではじめてだった。

だからその念を受けて望まれる通りにしようと思った

「練炭 自殺 方法」インターネットで何度も検索したけど、命の電話ばっかりで、自殺の具体的な方法は出てこなくて途方に暮れ、これは無理があるんじゃないかって思った。首をつることも考えたけど、できる勇気もやっぱり持ち合わせていなかった。樹海に行くか、とか考えたけど、なんか急に馬鹿らしく思えてきて、行くならみんなに遺書くらい、手紙くらい書かなきゃって思って、そしたら書く人が多すぎて書いてたら年が暮れるかと思い諦めた。そう、結局この人生と向き合うしかなかった。

結局この人生と向き合うしかない。

それだってわかっていたことだけど、人はその渦の中にいると見失うのだと思う。心理学とかカウンセリングの世界で「死にたい」という人は「死にたいほど〇〇なんだ」っていう。

私は死にたいほど悲しかった。死にたいほど信じられなかった。死にたいほど、人を信じたかった。死にたいほど、愛されたかった。死にたいほど、受け入れることが怖かった。死にたいほど、腹わたが煮えくりかえる気持ちになった。

死にたいほど、生きたかった

そう。それで、結局簡単には終われない、この人生と向き合うことになった。


死にたいほど、生きたかった。

それに気づけて良かったなって思う。

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全て自分に返ってくる

さっきの念みたいなものをこれでもかというくらい感じて、私が確信したのは、邪念とか、よこしまな気持ちとか、負のエレルギーとか、ずるさとか、バカにする気持ちとか、そういう類のものって、全部自分に返ってくるんだってこと。

別に誰かに対して、常にずっとずっとそういうエネルギーとか波動を持っていた訳じゃない。でも、なかったか?と言われればそれはあったと思う。

自分の言葉は自分に返ってくると同じ。

自分のエネルギーは全て自分に返ってくる。

このことをイヤほど感じたからこそ、これからは、心地よくをモットーに生きていこうと思う。

心地よくいること

それがこれからも心地よくいられる唯一の方法。

1年、あなたも私もお疲れ様。来年は心地よくね。

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